彼岸の小鳥殺し
今年の啓蟄は3月5日だった。太陽が優しく、暖かくてTシャツの上にダウンのジャンパーで過ごせた。地中の虫たちにとって待ち焦がれた季節の到来だ、と思った。ところが。 その日、いたるところの田畑で、たくさんの烏(からす)を見た。一心に土を啄(ついば)んでいる。地中から這い出てきた虫を食べている、と気づいた。 そうか、野生の生き物にとって生と死の境界はないんだ。ある生き物は本能が命ずるままに生きようとし、もう一方は本能が命ずるままにそれを奪い、自らと種(しゅ)の生命にする。啓蟄は生と死の日だと、初めて分かった。 次の日は朝から雪が降った。水分の多い雪だ。前の日の太陽は隠れた。みるみるうちに、前の日に現れた畑や森の枯れ草は白い雪に覆われた。 「彼岸の小鳥殺し」。この季節の雪の名前だ。物騒な名前だけれど、生き物への愛情が伝わってくる言葉だ。「弱い者をお前が救ってやれよ」という教えのようだ。 わが家のデッキ(日本語なら「濡れ縁」「縁側」か)には冬に備えて、野鳥の餌場を設けておいた。 昨日は、行列が出来るラーメン屋のような光景だった。シジュウカラとヤマガラが次々とやって来た。メニューは向日葵(ひまわり)の種、玄米、潰した落花生、食べ残しのパン、デザートには干し柿だ。ドレスコードはないのだが、シジュウカラは白と黒のシックな出で立ちで、ヤマガラはけっこうカラフルだ。順番を巡ってけんかをすることもない。向日葵の種はホームセンターで買った。今年は向日葵をたくさん植えて、次の一冬分の種を収穫したくなった。 シジュウカラ 他国の領土と人の命を奪う人間。それをただニュースで見るだけの自分。 突然の雪に困っている野鳥に餌を与えるくらい、気持ちにゆとりのある自分がいる。その自分は何ができるのだろう。何をしたいのかは分かっているのに。