夏は来ぬ。
春は落ち着かない日が続いた。理想は「悠々閑々」なのだが、時間の密度が濃く、自分の感覚で動けないもどかしさや、意思はあっても取りかかれない焦りばかりを感じていた。そうこうしているうちに、森の中でも気温30℃に迫る日が幾日かあり、汗をかいたおかげで体はすっかり夏仕様となった。 鶯(ウグイス)の鳴き声も季節で変化するようだ。春の初めの初鳴きは「ホ・ー・ホ・キョ」(4モーラ)、春本番には「ホ・ー・ホ・ケ・キョ」(5モーラ)。そして今は「ホ・ー・ホ・ケ・キ・ヨ」で、捨て仮名(小さい字)の拗音「ョ」は季節が進むと「ヨ」になり、6モーラ(拍)に増えていく。申し訳ないが5モーラが好きだ。子犬や子猫がかわいいのは視覚だけれど、聴覚を刺激するものがあるんだな。 夏は来ぬ。 暑い日は、汗をかいて過ごすのが一番自然で、体によいと思う。熱中症には注意したいけど。海の中で生きていた遺伝子の欲するがままに、水と塩を体に取り入れて生命を維持したい。そんなある日、朝から昼過ぎまで外で仕事をした後で、夏バテ防止にと鰹の刺し身(キラキラ光る皮付き!)を馴染みの魚屋で注文したら、親父さんに「こんな暑い日は、刺し身でなく焼いた塩鮭を食え。」と教えられた。熱々の焼きたての塩引き(新巻ではなく)と熱々の炊きたてご飯を頬張れと。教えられた通りにした。食べていると思い出が蘇った。 土建屋で働いていた20代の頃、70歳は超えている「あんにゃ」たちの弁当を覗くと、ぎっしり詰めた白米の上に塩が吹いた焼き鮭(たぶん塩引き)と、見ただけで唾が出てくるでっかい梅干し。彩ったのは「あね」たちが作った塩もみキュウリやトマトのお裾分けだ。弁当を食べ終わると弁当箱に熱いお湯やお茶を入れて啜ってた。塩引きの骨や皮から滲み出る出汁と白米の粘りが合わさってうまかった。食べ物を粗末にしない禅僧の教えだ。食後はそれぞれに日陰を探して昼寝した。誰も冷たい飲み物を飲んでいなかった。あんにゃ達の作業着は昼休みの間に汗が乾き、胸元や背中辺りに白い縞模様が浮かんでいた。体から絞り出した、生命体の証だ。 もうすぐ悠々閑々の日々が1週間くらい取れるので、鶏小屋を作ろうと思い立った。汗をかきたい。落ち着かない動物代表の鶏を飼うのだ。 悠々閑々は性に合わない。