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~の秋

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  昨夜は中秋の名月。中秋の名月は満月だと思っていたが、ニュースを見ていて間違いだと初めて知った。そんなことを教えられても困る。満月ということでそっとしておいてほしかった。 「知りたいこと」「知りたくないこと」「知ったら感動すること」「知っても知らなくてもどうでもいいこと」、結局は、自分次第だ。興味関心や必要だけでなく、年齢も影響しているのか、「知っても知らなくてもどうでもいいこと」が増えてきた。「達観」と言っておこう。  子どもの頃、夕餉の場で耳にした「かどいわし」が鰯(いわし)ではなく、鰊(にしん)ということも最近知った。子ども心に、でかい鰯だなと思っていたことが懐かしい。鰊は「春告げ魚」だから来春(らいはる)には魚屋で「かどいわし、入ってるかい。」と言ってみたい。「なんすか、それ?」という切り返しも想定しておこう。  昨日の夕方の空には、東には季節外れで売れ残ったソフトクリームような夏の雲、西の空には刷毛で掃いた薄い雲があった。その間の南の空には青空が見え、東と西、どっちに軍配をあげようか迷っているような「大相撲秋空場所」だ。行司差し違えはなく、西の空が勝って、今朝は寒い。自然は正直だ。  道に山栗がたくさん落ちている。年寄りは、山栗は味が濃くてうまいと言う。  青紫蘇の実が白い花を付け始め、収穫時期を迎えた。1年分を収穫し、灰汁を抜いてから塩漬けした。おにぎりに最高だ。おだやかな晴れた日にそんな営みをしたいと憧れる。夕方まで外で働いて、夕方5時頃作業を切り上げ、大相撲で贔屓(ひいき)の力士や郷土出身の力士を応援しながら、夕餉を待つ暮らし。  生き方を探していた20代に、親戚に頼んで稲刈りを体験させてもらった。広告マンの時間からは考えられない時間の使い方だ。体の全てを動かす喜び。自分の知らなかった仕事の工夫を知る感動。その仕事の専門用語を知る楽しさ。天気の審判を素直に受け入れる謙虚さ。そして、「こじはん」という時間の豊かさ。北欧にもある「HYGGE」に通じる時間だ。稲刈りを手伝ったご褒美に天日干しした新米を1俵もらった。同じ頃、乳母からは熟した新味噌を頂いた。夢見るだけで貧乏だった自分には、何よりの励ましだった。あの頃の自分が好きだ。夢が叶ったのは応援してくれた親戚の農家と乳母のおかげだ。  最近、炊飯器が壊れたので、「長谷園」というメーカーの米を炊く...

一段落

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  秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏之)  立秋を過ぎても暑さが居座った。いや、居直ったの方が合うか。日本の気候が温帯から亜熱帯性になってしまい、季節は四季ではなく、まるで雨季と乾季になってしまったようだ。暑さは平気だが、湿度が高いのが苦手で、乾いた風を求めてさまよった夏だった。それでもとうとう朝晩の気温が20℃を切るようになってきた。暑さも「一段落」、そして「人心地」が付いた。 「今日は9月9日。1桁の奇数である「陽数」の中で1番大きい9が2個重なるおめでたい日。」この1文の中には、9や一、2が登場する。日本語学習者が読むのは難しいだろう。9だけでも三つの読み方がある。「1桁」と書いて「ひとけた」と読む方が自然だ。「2個」を「2つ」と書くと「ふたつ」だ。  ここ数年、数詞の書き方や言い方について迷うことが多くなった。  個数や人数などの「量」は助数詞(個や人。算数で言う単位)を伴えば目に見えるように示すことはできるが、「数」そのものは立秋のように目にはさやかに見えない。具象でなく抽象だからだ。目に見える3個や3人という量や3番目のような順序を使いこなしていくうちに、目には見えなくても、感覚として3の意味をつかんでいく。  書き方では、「いち」と読む語や個数、順序は「1」を使い、「ひとつ」と読む場合や熟語は「一」またはひらがなで書いていた。「ここはひとつ、丸く収まった。」 「あの子の胃袋はもう一人前だから、寿司を1人前は食べられるだろう。」という具合だ。日本語の文は縦書きも横書きもできる便利さがある反面、時代や生活の変化によって、表記の曖昧さが増えてきた。扱う数も大きくなった。文字数の少ない「令和五年」「令和5年」はどちらも見かけるが、さすがに「二千二十三年」という書き方はあまり見かけない。  言い方で迷う代表格は「一段落」だ。読み方を知らないからではなく、語感と感情が合わないのだ。大変な仕事が山場を越えたときに「ああ、やっといちだんらくついた。」より、「ああ、やっとひとだんらくついた。」の方がしっくりくる。「ひと」の音が「人」につながり、人の営みの感じがする。「1番好きなのはあなた」だと2番目、3番目の影がちらつく。「一番好き」だと、唯一無二のようで舞い上がってしまう。  暮らしの中では気兼ねなく自分の好きなように数を言えば...