一段落
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏之)
立秋を過ぎても暑さが居座った。いや、居直ったの方が合うか。日本の気候が温帯から亜熱帯性になってしまい、季節は四季ではなく、まるで雨季と乾季になってしまったようだ。暑さは平気だが、湿度が高いのが苦手で、乾いた風を求めてさまよった夏だった。それでもとうとう朝晩の気温が20℃を切るようになってきた。暑さも「一段落」、そして「人心地」が付いた。
「今日は9月9日。1桁の奇数である「陽数」の中で1番大きい9が2個重なるおめでたい日。」この1文の中には、9や一、2が登場する。日本語学習者が読むのは難しいだろう。9だけでも三つの読み方がある。「1桁」と書いて「ひとけた」と読む方が自然だ。「2個」を「2つ」と書くと「ふたつ」だ。
ここ数年、数詞の書き方や言い方について迷うことが多くなった。
個数や人数などの「量」は助数詞(個や人。算数で言う単位)を伴えば目に見えるように示すことはできるが、「数」そのものは立秋のように目にはさやかに見えない。具象でなく抽象だからだ。目に見える3個や3人という量や3番目のような順序を使いこなしていくうちに、目には見えなくても、感覚として3の意味をつかんでいく。
書き方では、「いち」と読む語や個数、順序は「1」を使い、「ひとつ」と読む場合や熟語は「一」またはひらがなで書いていた。「ここはひとつ、丸く収まった。」 「あの子の胃袋はもう一人前だから、寿司を1人前は食べられるだろう。」という具合だ。日本語の文は縦書きも横書きもできる便利さがある反面、時代や生活の変化によって、表記の曖昧さが増えてきた。扱う数も大きくなった。文字数の少ない「令和五年」「令和5年」はどちらも見かけるが、さすがに「二千二十三年」という書き方はあまり見かけない。
言い方で迷う代表格は「一段落」だ。読み方を知らないからではなく、語感と感情が合わないのだ。大変な仕事が山場を越えたときに「ああ、やっといちだんらくついた。」より、「ああ、やっとひとだんらくついた。」の方がしっくりくる。「ひと」の音が「人」につながり、人の営みの感じがする。「1番好きなのはあなた」だと2番目、3番目の影がちらつく。「一番好き」だと、唯一無二のようで舞い上がってしまう。
暮らしの中では気兼ねなく自分の好きなように数を言えばいい。迷ってもいい。「不可思議」という位もあるくらいだからしょうがない。
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