風の正体

 二十四節気だと、今年の立秋、秋の始まりは8月7日だった。二十四節気は「皆の衆、皆の衆(三波春夫調)、これから次の季節が始まるぞ、準備万端怠りなく。」と、季節の変わり目の鐘を鳴らす役目だ。その鐘の音が響き終わった頃、8月23日からは処暑に替わる。「暑さが収まるぞ。秋が来たぞ。いつまでもキリギリスをしていてはだめだぞ。」の教え。

 二十四節気ができたのは今から2000年前以上前の中国で、日本に伝わったのは1500年前くらいだ。地球に寄り添った暮らしがあった。もちろん何年かに一度の、いつもとは違う気象、例えば「日照りの時や寒さの夏」は人々を泣かせたり、途方に暮れておろおろ歩かせたりし、たくさんの命を奪った。それでも「種蒔き桜」のように、多くの年はいつもと変わらない季節が訪れたはずだ。

 二十四節気は天文学で絶対的だが、雑節(ざっせつ)は、日本で作られた、いわゆる農事暦が主となっている。だから、二十四節気よりは、日本の風土や農耕が主だった人々の暮らしに根ざしているので馴染みやすい。旧暦の「八朔」はまもなく。そのあとに「二百十日」や「二百二十日」がやってくる。旧暦は新暦のおよそひと月あとだから、これら三つは台風が作物(主に稲)を襲う「三大厄日」だ。今日もニュースで台風に警戒するようにと訴えていた。

 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏之)

 目に見えない風がこの和歌の肝だ。この時代から正体のはっきりしない「風」のついた言葉が日本語を豊かにしているようだ。抽象的にも具体的にも、「かぜ」という和語より「ふう」と読む漢語が。

「風情」と「風流」の違いを考えてみた。 

 夏の盛りに日陰に風鈴を吊るし、風を音として味わう。「釣り忍」も軒に吊るしてあったら、目にも涼しい。西日が隠れた縁側で冷や酒(冷酒ではない。燗していない常温の酒)だな。風鈴も釣り忍も風情があり、風流だ。風情と風流は同じ意味かと思ったら、これはあくまで自分の感覚だが、違いがあるように感じた。暑い夏なら風鈴も釣り忍も「風情」であり、「風流」だ。でも、立秋を過ぎると、「風流」からは外れる。流行遅れだ。ところが、蟋蟀の鳴く音に交じって風鈴の音が聴こえてきたら、それはそれで「風情」がある。涼でなく冷を告げる音として響く。

「風景」「風光」「風雅」「風月」

「風采」「風天(フーテンの寅)」「風姿」

「風雪」「風霜」

「風評」「風説」「風疹」

「かぐや姫」の伊勢正三と、「猫」の大久保一久が組んだ「風」※これは「かぜ)

「サラリーマン風」「職人風」「渡世人風」「遊び人風」。でも、「教師風」とは言わない。外で見かけないからだろう。男性なら背広姿に運動靴、おなご先生は、ジャージー姿にハイヒールなら教師だと疑って間違いない。

 洋風は困ったものだ。「背広」と言ったら、若者に笑われたことがある。今は「スーツ」と呼ぶらしい。ズボンでなく「パンツ」と呼ぶのと同じに。「パンツ」はやっぱり「下着」だな。背広の語源はいくつかあって、その一つにロンドンの高級な仕立屋が並ぶ通り「Savile Row」(サヴィル・ロウ)が語源になっているというのを信じている。行ったことはないけど。背広だって流行最先端の言葉だったのだ。

「洋風」に対する「和風」の定義は何か、「東洋風」とも違うようだ。

 目にはさやかに見えない。風は一人一人に吹いてくる。自分の感覚を楽しめばいい。

 


 




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