灯り
スイミーのように朝の冷たい空気の中(スイミーは「水の中」)を車で走りたくなった。気温は4℃。自分を奮い立たせ古いジープの幌を一人で外した。 久しぶりの出番がうれしかったのだろう。エンジンは気持ちよく一発でかかった。 ダウンを着て、手袋を着け、太陽が眩しい東に向かうのでサングラスをかけて走り出した。 馴染みのガソリンスタンドで軽油を満タンに入れてもらった。ここらでは冬用の軽油でないと真冬には凍ってしまうと教えてもらった。さあ来い、冬。(高村光太郎風に) 新しくできた橋を渡り、標高700mを超える高原の道を走った。遠くの山のてっぺんがもう白かった。 家に戻ったらやはり体が震えていて、鼻水をすすりながらストーブの火にあたった。炎はもちろん暖かく、ガラス越しに見える灯りもうれしくて、そして、ほっとする。 灯り。 なぜ、ほっとするのだろう。 火で調理することでいろいろな種類の食べ物を自分の血や肉にすることができた、進化の記憶かもしれない。進化は、命を永らえるための知恵の結晶だ。 そうだとしたら、灯りを求める人の心は「信仰」と言えるだろう。灯りに己の心の求めるものが見えた時、ほっとするのだと思った。 灯りにどんな願いを込め、どんな答えを見つけようか。 ~電照菊(かりゆし58)~ 電照菊の光よ 夜の帳(とばり)を照らしてくれないか 大切な人がいつか 夜道に迷うことなく 帰りつけるように