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趣味は発芽

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 「ご趣味は何ですか。」と尋ねられ、「発芽です。」と答えると、質問した相手は決まって「えっ。」と困ったような表情になる。「植物の種を発芽させることです。」と答えてあげればいいのだが、聞き手の表情が面白くて「発芽です。」と返す。「今日はうなぎだ。」(今日、私が食べるのはうなぎだ)に代表される「うなぎ文」に匹敵する日本語会話の難しさ「発芽文」として認識されるかな。  今年の春、鬼ぐるみが11本発芽した。これは、ある高貴なお屋敷から拾ってきた実を、下々であるわが家に持ち帰り植木鉢にこっそり埋めたものだ。それは11月だったか。その上に冬がやって来て、雪を降らせた。この前の冬は雪が多く、植木鉢は春先まで雪を被っていた。  そして4月。遅霜の心配がなくなった頃を見計らっていたのか、地味だけれど力強い緑色の芽が黒い土の中から現れた。あの堅い殻を自力で割って発芽した姿を眺めていると、力が伝わってくる。鬼ぐるみからのメッセージを受け止めなければならないと、そう思ってしまう。  背の丈10cmくらいまでその植木鉢で育て、5月の中旬、森に植えた。朝日が当たるところ。冷たい西風が吹きつけないところ。他の木と争わなくていいところ。そして、あけびなどのつるに絡まれないところを探して、1時間ほどかけて全部植えた。実が採れるまで10年はかかるようだから、10年間の楽しみをもらったと考えればいい。  今までに発芽させて育てた木は「枇杷」「柚子」「アボカド」。花や野菜は数知れない。枇杷はもう20年も庭で生きている。今までに実が3個だけなった。柚子は、何年か失敗したけれど去年ようやく冬越しに成功した。アボカドは5年くらい観葉植物にして大きめの鉢で育てていたが、冬に旅行に出かけた留守の間、寒さで枯れてしまい、気の毒なことをした。気の毒といえば「タマリンド」の木もそうだ。南国ではスープの酸味にしたり、カレーに入れたりする。その実を乾燥しただけの菓子をタイ料理屋で見かけ、思わず買って懐かしい味を文字通り噛みしめていたら、「もしや」とひらめき発芽させてみた。うまくいった。うまくはいったのだが、でも後のことを考えていなかった。この寒い地では温室でもない限り生きていけない。結局は枯れてしまい、罪悪感だけが残った。それ以来、この森でずっと生きていける草花や野菜、木を選ぶようにした。発芽する、しないは植物に任せ...

めっけ

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 朝方、雨が上がったので森に入った。春の山菜「シドキ」を採るためだ。「シドケ」とも呼ばれる。ここいらでは「人口に膾炙(かいしゃ)している」山菜ではなく、馴染みが薄いのか人の口にはあまり入らない。膾(なます)でも炙った肉でもなく、山菜だし。こんな下手な例文でいいのかなんて考えながら、一歩、また一歩、奥に奥に進んで行く。  後ろを振り返ると、半年前に新しく家族になった2匹の保護犬のどちらも付いてこない。まだまだ主人として認められていないのだ。途端に心細くなり、スマホで音楽を流し、大きな声で歌った。誰よりも森の熊さんに聴いて欲しくて。  1曲目はORANGE RANGE(オレンジレンジ)の「花」。山桜の花びらはもう散ってしまったけれど、夢みたいにシドキに出逢いたいのだ。  2曲目はラッキーオールドサンの「ミッドナイトバス」が流れてきた。なかなかいい選曲だ。「明日のことは明日決める」の歌詞が好きだ。本当は次の日までにやらなければならない仕事が「山積み」なのに、「山歩き」している。「思い出す あの約束の場所まで 連れて行って」そうそう去年シドキを見つけた約束の場所まで。だれと約束したんだっけ。  3曲目は「Moon River」だ。オードリー・ヘップバーンが歌っているやつ。大好きな歌で、ヘップバーンが映画の中で爪弾いているのと同じようなギターまで買い込んでしまった。 「There's such a lot of world to see」と歌っていた、まさにその時。 「めっけ(見つけた)。」シドキからすれば「めっかっちった。」  すぐ隣の楓の葉によく似た形の葉。「モミジガサ」とも呼ばれる。楓は葉の切れ込みが五つだが、シドキは七つ。葉っぱが周りの木々や草の新緑よりは濃い緑色で、艶々と光っている。  シドキは去年の春より増えて、約束通り待っていてくれた。(と都合よく解釈)  下の方の葉っぱは残しながら、柔らかい茎を手折る。こいつをさっと湯がいて、少しの味噌と和えて2,3日漬けておくと、春の終わりと夏の始まりのリレーのような味がする。 シドキ・・味噌漬け、お浸し。 五加木・・ウコギご飯。ばあちゃんがよく作ってくれた思い出の味だ。 行者にんにく・・醤油漬けにして、冷や奴にかける。けっこう保存できる。 ウルイ・・オランデーズソースで。酢味噌だと思って食べるとうれしい勘違いだ。 ...