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とける

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  昨日はとても暖かい日だった。何となく気が緩み、朝日を眺めながら外のテラスでビールを楽しんだ。たまには?いいもんだな。  今朝はまた氷点下になり、気を引き締める。それでも朝はもう早くから明るく、夕方もどんどん長くなる。一日がゆっくり流れる。 「雪イトド深シ 花イヨヨ近シ」 柳宗悦  先週にけっこう積もった雪も、日陰や木陰にしぼんだように残るだけで、あらかたとけた。 「雪がとける」をどう書くかいつも迷う。どの漢字を使うのが正しいのかではなく、どの漢字が自分の気持ちに添っているか、で迷う。キャンディーズはどの漢字で歌っていたのかな。 「とく・とける」にはけっこうたくさんの漢字があった。 「解く・解ける」(字源は怖いけれど、それが人々の生きるための営みだったのだろう。) 「溶く・溶ける」 「熔く・熔ける」(常用漢字表にはない) 「融く・融ける」(常用漢字表では「ユウ」)) 「梳く」(「髪をすく」)。でも「髪をとかす」時はこの漢字を使う。「髪を解く(ほどく)」とは別の意味になるが、イメージは近い。「ほどく」「ほぐれる」「ほのか」「ほんのり」など「ほ」の字のつく言葉は「柔らかさ」を表してきた。「あの娘に「ホの字」の「ホ」もかな。)    「とく」「とける」そして「ほどく」に 共通する意味合いは、固いものを柔らかくすること。強張っているものを緩ませること。不自由な状態から自由にしてやること。  白菜の漬け物は冬の真ん中辺りより酸味が増してきた。冬のなごりの味。その隣にはアオサの味噌汁。汁椀の中を青々と漂っている、春の始まりの香りだ。  今日は新月。12星座の最後の新月だ。また新しい日々、新しい1年を迎えるための、まとめが始まる日だ。「疾く(とく)」ことなく、ゆっくり、そして、おだやかに「説く(とく)」日本語と暮らしたい。

森の味覚 魚編

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  今日は節分。恵方巻を食べるという西日本の風習が、今や日本全国に定着した。おいしいのを食べて、気持ちが元気になるのはいいな。  自分が子どもの頃は、焼いた鰯の頭を干した大豆の茎に刺し、それに柊の枝を括り付けて玄関に飾った。柊は庭の入り口辺りに植えてあり、それを手折り(たおり)に行くのはなぜか自分の役目で、葉の先の棘が痛くて嫌だったので鬼の気持ちがよく分かった。宿題をさぼる鬼だったので、自分の役目だったのは親心からだったのか。「さぼる」の語源は、和蘭陀の木靴「サボ」だ。  魚は自分の遺伝子が欲しがる味だと分かったのは、外国を旅した時だ。  毎日毎食、肉とパンにオリーブオイル。だんだん食欲がなくなっていった。そんな時、オイルサーディンの缶詰が手に入り、蓋を開け、そのまま火にかけて、1滴の醤油を垂らし、ジンジャー(生姜)を一かけ。生き返った。萎(しお)れた植物が蘇った。中粒種の米が炊き上がり、皿に装った熱い飯にアンチョビを載せて頬張った時の快感。地球の果てでも生きていけると安堵した。地球の果てがどこで、いつ行くのか知らんけど。  最近カンパチの兜(かぶと)の干物に出会い、その旨さに欲が沸々と湧き上がり、買い占めようとし、その時、アイヌの先人の言葉を思い出し自戒した。(事実は、魚屋に電話したら売り切れだった。)  いい塩を振って雑味を取り除き、天日に当ててさらに水分を飛ばして旨みを濃くした干物。冬は気温も湿度も低いし、晴れの日が多く干物作りには一番いい季節だ。冷たい風がシェフだ。魚の兜を見つけると買い漁っている鬼がここにいる。「鬼はここ。」   寒空の血管のような小楢の枝。 生き延びろ、ローズマリー。