森の味覚 魚編

  今日は節分。恵方巻を食べるという西日本の風習が、今や日本全国に定着した。おいしいのを食べて、気持ちが元気になるのはいいな。

 自分が子どもの頃は、焼いた鰯の頭を干した大豆の茎に刺し、それに柊の枝を括り付けて玄関に飾った。柊は庭の入り口辺りに植えてあり、それを手折り(たおり)に行くのはなぜか自分の役目で、葉の先の棘が痛くて嫌だったので鬼の気持ちがよく分かった。宿題をさぼる鬼だったので、自分の役目だったのは親心からだったのか。「さぼる」の語源は、和蘭陀の木靴「サボ」だ。

 魚は自分の遺伝子が欲しがる味だと分かったのは、外国を旅した時だ。

 毎日毎食、肉とパンにオリーブオイル。だんだん食欲がなくなっていった。そんな時、オイルサーディンの缶詰が手に入り、蓋を開け、そのまま火にかけて、1滴の醤油を垂らし、ジンジャー(生姜)を一かけ。生き返った。萎(しお)れた植物が蘇った。中粒種の米が炊き上がり、皿に装った熱い飯にアンチョビを載せて頬張った時の快感。地球の果てでも生きていけると安堵した。地球の果てがどこで、いつ行くのか知らんけど。

 最近カンパチの兜(かぶと)の干物に出会い、その旨さに欲が沸々と湧き上がり、買い占めようとし、その時、アイヌの先人の言葉を思い出し自戒した。(事実は、魚屋に電話したら売り切れだった。)

 いい塩を振って雑味を取り除き、天日に当ててさらに水分を飛ばして旨みを濃くした干物。冬は気温も湿度も低いし、晴れの日が多く干物作りには一番いい季節だ。冷たい風がシェフだ。魚の兜を見つけると買い漁っている鬼がここにいる。「鬼はここ。」

 

寒空の血管のような小楢の枝。









生き延びろ、ローズマリー。


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