そうだ、鶏を飼おう
鶏小屋を作り始めた。唯一こだわったのは、基礎をブロックやコンクリートの壁を並べる「布基礎」ではなく、束石(つかいし。跳び箱形の石)を使った「独立基礎」にすることだ。 東日本大震災の後で海沿いの街を訪れた。元は家のあった場所には、コンクリートの布基礎がまるで化石の骨のように寂しく地面に埋まっていた。津波に襲われた地域の至る所に、だ。その風景を今も忘れることはない。寂寥、と表現しても決して届かない。 時が過ぎ、鶏は年老いていなくなり、鶏小屋の役目が終わった時に、時間だけを記憶に残して建物はそこに無かったかのように消える材料にした。 鶏は「家禽」だ。人の生活があり、鶏は寄り添って生きている。「コケコッコー」の声で目覚めたら、気持ちがいい1日を過ごせそうだ。 鶏を飼う一番のよさは、卵が手に入ることだ。卵焼き、目玉焼き、ゆで卵。ゆで卵の味噌漬けは懐かしい味。福島市の惣菜屋の「五目卵焼き」は巨人軍や大鵬が強かった昭和の時代から味が変わらず、今でも大好物だ。一番好きな食べ方は「卵かけご飯しらす添え」。そこで、黄身の割合の大きい品種「岡崎おうはん」を選んだ。飼うのは20羽。毎日食べ放題だ、と喜んでばかりはいられない。毎日20個近い卵が冷蔵庫に増えていくのだ。20羽と決めたのは養鶏業者に「鶏は凍死しないように身を寄せ合って冬を越す」と教えられ、建てる鶏小屋の広さから割り出した。何か新しいことを始める楽しさの一つは、先人や専門家、職人から学ぶことだ。 鶏を飼うよさの二番目は、鶏糞が手に入ること。鶏糞には特に燐酸が多く、開花や結実を促してくれる。無花果やブルーベリー、猿梨、ぐみ(胡頽子、茱萸。お菓子の「グミ」はドイツ語)や紫陽花の根元に施してやろう。 三つ目は、お遣いものに喜ばれること。産みたて卵をきれいに洗って拭き、藁で編んだ「卵苞(つと)」に包んで贈ったら粋だな。でも、自分で編まずに苞の完成品を買うと、卵1個の100倍近い値段がする。100均で竹篭(かご)や竹笊(ざる)を買い、それに入れて入れ物ごと贈るのもいい。 四つ目は、人間の食事の食べ残し(残滓 ざんし)を鶏は喜んで食べてくれるので、食品ロスになり、自分が食べ残したことの罪悪感も薄らぐ。ただ、卵料理や鶏肉料理の食べ残しを与えるのは道徳的に気が引けるので、がんばって完食しよう。「おから」は鶏の好物だ。 ...