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春が流れる

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  昨夜の気温は3℃。乾いた薪を運んで久しぶりにストーブを焚いた。ここよりもっと標高の高い西の山では雪が降った。  それでも春は流れている。  河津桜が春を告げ、染井吉野が人出を誘い、都会の春が駆け足で去った頃、ここでは山桜が花盛りを迎えた。今は雪のように花びらが散ってくる。零(こぼ)れ桜だ。遠くの山には山桜よりほんのり赤い大山桜が見える。  白の石楠花(しゃくなげ)が森の中でひっそりと咲いていた。赤の方はまだのんびりしているようだ。石楠花の根元の木瓜(「きゅうり」でなく「ぼけ」)は赤と白がめでたく並んで咲いている。  朝倉山椒の木の芽が開いた。にしんの山椒漬けを仕込む時期であり、時機でもあり、時季だ。気分としては、木の芽を摘むと鮮烈な香りが漂って、時季、を使いたいな。朝倉山椒は天国の忍ちゃんから貰った。「実が成るぞ」と言ってたくせに、いつまでたっても実は成らない。聞いてるかい、忍ちゃん。  義父の愛したシラネアオイは、今年は青みが濃く、枯葉の色によく映える。天国から眺めていてくれるだろう。  里の水田では、早くも田植えが済んだところがあった。田んぼに張った水は青空を映し出し、水の底の方に空の高い方が溶け込んでいた。 「ゆら」のブレンドコーヒーが「春色カフェ」から「ハミングバード」に替わった。  森の春はゆっくりと、それでも、確かに流れていく。

野ばら

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  よく晴れた朝だ。幅の広い草の葉には、まだ霜がついている。そこに日光が当たって光り、生長の勢いを感じさせる。遠くから鶯の鳴き声が聴こえるだけだ。  大きな国の老兵士と、隣り合う小さな国の若い兵士が国境(くにざかい)を守る任務についていた。まだ争いはなく、蜜蜂の羽音で目覚めるくらい穏やかな日々が過ぎていく。静謐な光景だ。  言葉を交わすことのなかった二人が、次第に打ち解けてお互いにその存在に感謝し、やがて年の差も兵士としての階級も国も関係なく、友人として尊敬し合うようになる。  若い兵士は故郷に帰ったらピアニストになるという夢を語り、老兵士は彼のコンサートに行くことを望みにした。二人で未来を待つようになった。  しかし戦争が始まり二人は敵になった。それでも二人は、人としての生き方を選んだ。  そして、野ばらは枯れてしまった。    30年以上前に読んだ小川未明の「野ばら」を読み返した。光村図書の小学6年生国語の教科書から姿を消して久しい。  森の野ばらは5月には白い花を咲かせるだろう。ひまわりも芽を出した。  大きな国と小さな国にまた白い野ばらの花が咲くのを願っている。小さな国の青い空の下でたくさんの黄色いひまわりが咲くことも。

春の宵

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 なぜかそわそわしてしまう季節だ。  気温はだいたい20℃くらい、湿度はできれば70パーセント前後だな。天気はもちろん晴れで、風は昼なら風力2の「軽風」か強くても3の「軟風」がいい。けれど、日没後だから風力1の「至軽風」でお願いします、風の神よ。 「宵」。夜のことではない。日没後から1時間後くらいの時間帯だ。  達成感やその代償の疲労感、それに心残りも入り混じり、内省的になる時間だ。何かを信じたくなる。こんな時に勧誘されたら、ころっと信じてしまうかも。  心の静まりと同期するように、西の稜線はだんだんと目に優しい色になり、紺か黒か区別がつかない。後で、記憶の色を色見本帳で「深縹(こきはなだ)だった。」だの「いや、濃藍(こいあい)かな。」だの名前を調べて過ごす時間も値千金だ。        「春夜」 蘇軾(そしょく)    春宵一刻直千金 ※原詩は「直」、現代でよく使われるのは「値」    花有清香月有陰    歌管楼台声細細    鞦韆院落夜沈沈         今宵は「森と暮らす漢詩」。でも筆が遅いので、すっかり夜になってしまった。  蘇軾(そしょく)は「左遷の人」、そして、東坡肉(トンポーロー)を作った食いしん坊だ。    トンポーローには老酒もいいけれど、ビールもいいな。11℃がいいとビール園で教わったのは19の春だった。「宵」でなく「酔い」も値千金、飲み過ぎると支払いがね。           「負けないで」 ZARD    何が起きたってヘッチャラな顔して    どうにかなるサとおどけてみせるの    今宵はわたくしと一緒に踊りましょ    今もそんなあなたが好きよ    忘れないで   蘇軾は日本だと平安時代の終わり頃の人、ZARDは自分と同世代。みんな「宵」が好きだ。   

春がやってきた

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 遅い春が来た。  寒さの緩みと寒の戻りを幾度となく波のように繰り返し、ようやく春がやってきた。  とは言え、朝はまだ寒い。「春はあけぼの」と行きたいところだが、今朝も氷点下だった。   休日は天気予報、それも特に気温を調べて1日の予定を組み立てる。まだ気温は摂氏4度(4℃)なので今、このブログを書いている。4℃だとバイクで走っていて体が凍った記憶がある。  5℃を超えたら、薪運びをしよう。1℃の違いがけっこう大きい。寒いから体を動かさなくては。  8℃になったら、薪割りだ。薪割り=斧だが、それでは全部割り終えないうちに次の冬がやって来て、「蟻と蟋蟀(キリギリス)」の蟻のように真面目に働いたのに末路は蟋蟀という変な物語になってしまう。ウソップ物語! だから、人間らしくエンジン薪割り機でやろう。  午後は新しく作った小屋の仕上げ。初めはタイヤを保管する「物置」を作るつもりだった。ところが、元々使っていた薪棚をエンヤコラと移動してその跡地に物置を建てたら、おやおやなんと、この冬の大雪のせいで屋根からの落雪が半端でなく、薪棚の薪の取り出し口が塞がれ、薪を取り出すたびに転びそうになったり、実際に転んだりしたので計画変更。どうせ「走れ、タイヤ君」は冬の間は眠っていればいいので、元の薪棚をタイヤ保管場所として使い、「物置」のはずだった物置は「薪小屋」にすることにした。柔軟な発想が森の暮らしでは役立つ。失敗から学んだことが知恵となる。願いを実現できて初めて知恵と言える。失敗だけだと「ちえっ」となる。  春を感じる一瞬がいっぱいあって、そのこと自体、うれしい。  新物のあおさの味噌汁。生若布(わかめ)の味噌汁。蕗の薹の味噌汁。芽が出て少し萎(しな)びてしまったじゃがいもの味噌汁(ポテトサラダにしてもおいしい。「春待ち芋」という名がある)。芹の若い葉の味噌汁。  味噌汁ばっかり。春を感じる一瞬でなく、1杯になってしまった。「春は朝餉の味噌汁」だ。その1杯を一口啜(すす)ると、肩の力の抜けるのが分かる。冬の間に肩も凍っていたのか。味噌は泉崎村「こころや」で買える「峠味噌 十四割 白」が好きだ。「こころや」は一生懸命働いている人たちを応援したくなる店で気に入っている。  あと少ししたら、こぶしの花が咲くだろう。やっと春がやってきた。 春を受け止められる自分がいる。気温は摂氏6度になった。...