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8月, 2022の投稿を表示しています

Nadiya

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  AmerAsianの続きを書こうと思ったけれど、話がトルコ・沖縄・フィリピンと旅したので、一旦森に戻ることにした。と言いつつ、泡盛を嗜(たしな)んでいる。うまいわー!  そう、戦わなければならない相手がいたのだ。猿だ。  おととしまで、双子の姉妹の愛犬がいた。姉妹はこの森の中腹にある欅の根元が大のお気に入りで、そこで静かに森への侵入者を見張っていてくれた。  年を取った姉妹が相次いで森に消えてから、猿や猪、白鼻芯、鹿がこの森に自由に入ってくるようになった。  おととしの夏は、じゃがいもときゅうりとトマト、南瓜全敗。去年は無花果(いちじく)。節になると毎朝ボール一杯の収穫があった。結局無事に収穫できたのは、紫蘇の実だけ。  そこで、猿と知恵比べするべく、いろいろと作戦を練った。戦略と戦術「坂の上の雲」だ。  その1 電気柵。   これは即却下。とても世話になった方が感電が原因で亡くなったし、映画「グリーンマイル」 に衝撃を受けた。宣言しよう。猿に痛みを与えたくはないのだ。第一、間抜けな自分がビリビリするだろう。二代目森の番犬も。  その2 狼のおしっこ  こんな製品があるんだと感心した。犬猿の仲ならぬ、狼猿の仲か。「ゴールデンカムイ」路線だ。興味津々だけど、愛犬が刺激を受けて自分の野生に目覚め、北海道を目指してしまうと困るから却下。  その3 エアガン  却下。「とびどぐもたないでくなさい。」(宮沢賢治「どんぐりと山猫」)  その4 動物撃退器   猿が近づくと、センサーが反応し、照明が光り、いろいろな音が出るらしい。  森には動物の鳴き声と風の音だけでいいよ。消防団の巡回の鐘の音は許す。OBなので。  移住ブームだけれど、隣組の付き合いを心配する人がいる。それが楽しいんだよ。  その5 ロケット花火。  猿を傷つけない。不良品があって、飛んでいくけど最後にパーンと鳴らないやつ、発射角度を間違って、軒に当たって足元で任務を遂行するやつ、導火線だけで終わるやつ。  自分の人生を占う花火のようで、点火する時は襟を正す。だいたいTシャツだ。  ロケット花火を楽しんでから最後に線香花火をするのが夏の風物詩だった。ノスタルジアで採用。  その6 舞っ鷹!  ネーミングのセンスに魅かれて採用!  鷹が羽根を広げた形の凧が釣り竿の先にサルカンで繋がれて、風が吹くと舞う。...

AmerAsian その1

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  沖縄慰霊の日は6月23日。「ないちゃー」あるいは「ふくしまんちゅ」にはほとんど知られてない日だ。当時の沖縄県民の1/4が亡くなったことさえ。  8年前、沖縄に1週間滞在した。旅行ではなく研修だ。ちょうどお盆時期で「ないちゃー」である自分にとっては、「お盆=休日」という常識があって、「何でこんな日に」という気持ちがあった。 「そんなの常識でしょ。」自分の主張に自信がない時の常套句だ。それは違う。普通の知識や思慮分別は、最後は自分自身で作り上げたものだ。生まれも育ちも価値観も違う人全てが共有できる同じ知識や思慮分別があるとしたら、世界はつまらない。「普通」は自分自身が都合よく作り上げた幻だ。一人一人の価値感や生き方を認め、分かり合うことが平和につながるのだと思う。  話は沖縄に戻るが、内地のお盆の8月13日。街は活気があり、琉球大学の講座は開かれていた。沖縄の街は休業日ではなく、店やバスは通常営業で、通常運行だった。  沖縄を訪ねたのは「Amerasian School in Okinawa」の見学だ。詳しくはHPがあるので見てほしい。ずっと関心があったので、実現し、研修は充実した時間だった。日本語教師を目指した動機の一つだ。  6月23日。  8月6日。  8月9日。  8月15日。  時間は途切れない。この間も、その前も、その後も。  南の国のコレヒドール島に行ったとき、海を臨む丘に直径50cm足らずの円いプレートがたくさんあった。一つ一つに、名前と出身県、享年が彫ってあった。  この島を詳しく知らなかった自分を責めた。  高校の修学旅行の目的地にしたら、平和は人間の心で築くものだと感じてもらえるかな。  刻まれていた享年は十代から二十代前半、東北や九州出身者が多かった。同郷の人を見つけて、息が乱れた。    Amerasian School in Okinawa の話は次号。これも、戦争と平和の狭間にある。  

8月6日のチャイ

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  あの日、世界は今よりは平和だった。そしてそれが当たり前だと錯覚して、自分はもっと薄情だった。  16年前の8月6日。朝、トルコの小さな村を一人で散歩していた。旅の相棒の息子はまだ寝ていた。涼しく、空気は乾いて空は青が強い。初めて見る風景を眺めながら、大好きな、旅の朝の時間を味わっていた。  緩やかな下り坂の途中にチャイハネ(茶屋)があった。近所の男たちだろう、お喋りとチャイを楽しんでいる。小さな村だ、よそ者に気づくと話し声は止み、中が暗いチャイハネからたくさんの目が、日差しに照らされて歩くよそ者を見る。嫌な気は起きなかった。反対の立場なら自分もそうする。同じ地球人だ。  軒下にある丸い小さなテーブルで一人でチャイを飲んでいた老人が、こっちを見つめて手招きした。自分でも不思議なくらい素直に応じて、静かになったチャイハナに向かって道を横切るように歩き出した。履いている靴は乾いた足音を立てた。 「グナイドゥン」(おはようございます)、そう挨拶して老人の目の前の席に座った。 ”Japonya?”(日本?)ぼそぼそとした声だ。  軽く頷き、運ばれてきたチャイを一口飲んだ。けっこう濃いめで、角砂糖を2つ入れた。それでもまだ渋い。  しばらく静かな時間があり、突然老人はこちらを見つめてしっかりとした声で言った。 ”Hiroshima.”   四つの音は一気に自分の心に押し寄せ、それから自分が今日の意味を忘れていたことへの苦々しさと、異国の、そして異教の老人が遠い日本のこの日を胸に刻み、祈りを捧げていることの崇高さに圧倒され、ただ黙って濃いめのチャイを飲むことしかできなかった。チャイの渋さと角砂糖の甘さのような言葉だった。ようやく心が落ち着き「ありがとうございます。」と日本語とトルコ語で伝え、さっきよりも深々と頭を下げた。 「祈る」の語源は、「い」が神聖なものを意味する「斎(い)」、「のる」は「宣」でもともとは呪力を持つ言葉を発する意味だと言われている。<三省堂 新明解語源辞典より>       Jackson Browne  "The Pretender"の歌詞の中の言葉。拙訳だけど。      "And when the morning light comes streaming in     ...