AmerAsian その1

  沖縄慰霊の日は6月23日。「ないちゃー」あるいは「ふくしまんちゅ」にはほとんど知られてない日だ。当時の沖縄県民の1/4が亡くなったことさえ。

 8年前、沖縄に1週間滞在した。旅行ではなく研修だ。ちょうどお盆時期で「ないちゃー」である自分にとっては、「お盆=休日」という常識があって、「何でこんな日に」という気持ちがあった。

「そんなの常識でしょ。」自分の主張に自信がない時の常套句だ。それは違う。普通の知識や思慮分別は、最後は自分自身で作り上げたものだ。生まれも育ちも価値観も違う人全てが共有できる同じ知識や思慮分別があるとしたら、世界はつまらない。「普通」は自分自身が都合よく作り上げた幻だ。一人一人の価値感や生き方を認め、分かり合うことが平和につながるのだと思う。

 話は沖縄に戻るが、内地のお盆の8月13日。街は活気があり、琉球大学の講座は開かれていた。沖縄の街は休業日ではなく、店やバスは通常営業で、通常運行だった。

 沖縄を訪ねたのは「Amerasian School in Okinawa」の見学だ。詳しくはHPがあるので見てほしい。ずっと関心があったので、実現し、研修は充実した時間だった。日本語教師を目指した動機の一つだ。

 6月23日。

 8月6日。

 8月9日。

 8月15日。

 時間は途切れない。この間も、その前も、その後も。

 南の国のコレヒドール島に行ったとき、海を臨む丘に直径50cm足らずの円いプレートがたくさんあった。一つ一つに、名前と出身県、享年が彫ってあった。

 この島を詳しく知らなかった自分を責めた。

 高校の修学旅行の目的地にしたら、平和は人間の心で築くものだと感じてもらえるかな。

 刻まれていた享年は十代から二十代前半、東北や九州出身者が多かった。同郷の人を見つけて、息が乱れた。  

 Amerasian School in Okinawa の話は次号。これも、戦争と平和の狭間にある。


 










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