悲しい幸せ

  週末ごとに雨の日が続き、車窓から雨が降るのを眺めることが多かった。

「刷毛で掃いたような」は、雲を表現するのによく使われる言葉だけれど、刷毛を横ではなく上から下へ縦に掃いたように、雨は白く細く、静かに降りながらゆっくりと風に流されていた。風の刷毛は南から北に動いている。南風が目にも見えた。

 すっかり春になった。

 朝、森の中を歩いていると倒木を見かけた。いつ倒れたのだろう。盛んに生命を輝かせ始めた若い木の横で、倒木はひっそりと横たわっていた。春は厳しくもある。

 それまで木として生きてきた。夏には葉を繁らせて木陰を作り、小さな木を強い日射しから守った。秋には種を落とし、その上に枯れ葉を掛けて冬支度をした。真冬、種を覆う枯れ葉や雪が飛ばされて種が凍らないように、北風を受け続けた一生。自慢することもなく、不満を抱くこともなく、朴訥(ぼくとつ)に。

 引き際が来たことを悟り、春の嵐に背中を押されるように倒れた。土になって若い木の成長を見守っていくのが、これからの幸せなのか。

 倒木に心があり、言葉があれば、何を想い、何を語るのだろう。

「春が来た 春が来た どこに来た

 山に来た 里に来た 野にも来た」

(「春が来た」 高野辰之作詞 岡野貞一作曲)

 ゆっくり静かに、歌ってやった。



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