枯葉よ~♩落ち葉よ~♩
11月の最後の日の朝、初雪が降った。風がなく、空からまっすぐ下りてきた。雪もまだ初々しく遠慮がちで、雨に変わっては、また雪に戻ったりしている。冬が進むごとに、主役に成長し、もっと力強く降るようになるだろう。季節が秋に戻ることはないだろう。アイヌ語で「雪が降る」は「ウパシ アシ」。「アシ」は「走る」や「雪や雨が降る」の意味で、天から一片ひとひらの雪がコタン(住んでるところ。村)目がけてかけっこして遊びに来るという意味のようだ。
森の木々はすっかり冬木立となり、色彩は一気に茶色になった。森を歩くと、「落ち葉」がやわらかい。吹きだまりになっているところで転びそうになった。落ち葉を踏む音はくすぐったい感じがする。いや、待てよ。踏んでいるのは「落ち葉」というべきか「枯葉」と言うべきか。どっちでもいいのだけれど、ちゃんと使い分けられたら、もっと季節を楽しめる気がする。
童謡「たきび」(作詞:巽聖歌 作曲:渡辺茂)では、「落ち葉焚き」という言葉が歌われている。子どもの頃は、冬が来るとよく焚き火を見かけた。見かけると、友だちと一緒に吸い寄せられるように赤い焚き火に近寄っては煙の匂いを嗅いだり、自分の方に煙がやってくると逃げ回ったり、焚き火の中に隠してあるだろう焼き芋のおこぼれを期待したりしながら道草を楽しんだ。今は大っぴらに焚き火ができなくなり、冬の晴れた空に焚き火の煙が昇っていく風景を見かけることはなくなってしまった。
O・Henry(オー・ヘンリー)の「最後の一葉」は蔦の葉だ。落ちていないので、あれは落ち葉ではなく落ちそうな「枯葉」だな。葉の先の方から枯れていく「末枯れ(うらがれ)」だ。「病葉(わくらば)」とは違う。「病葉」は夏の季語で、夏の盛りに青々と茂る葉の中で寂しく色が枯れてしまった葉だ。
「枯れる」のもつ意味はなかなか奥深いように感じる。万物の全盛期を過ぎたことを表す意味もあるし、芸や技、趣、人格などに外連味(けれんみ)がなくなり、完成されたことを表すときにも使われる。「あの役者の芸は枯淡の境地を感じさせる。」とは褒め言葉で、間違っても「落ちる」では表現できない。
枯れるの語源は「離る(かる)」で「涸れる」や「嗄れる」とも意味は近い。「枯れ木」となると、もう命を終えた木や、新しい季節のために葉を落とした木の二つの意味があるから、文脈で判断しなければならない。落葉した木を初めて見た子どもの中には、死んでしまった木と勘違いしてしまう子もいる。
シャンソンやジャズの名曲「枯葉」の原題は「Les Feuilles Mortes」、直訳すると「死んだ葉」らしい。おそらく死生観の違いだろうが、日本人の自分としては「枯葉」でよかった。仏語は苦手で、大学で第2外国語に選んだら、テストは毎回枯れた点数で、毎年落とし、結局4年間も受ける羽目になった。「ジュテーム」は覚えたけど、使ったことは、ない。
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