かけざん九九を教える 

  外国から日本の小学校に転入してきた子に、かけ算九九を教えるという貴重な機会を得た。

 とても素直で、明るい子だ。以前の学校では授業は英語。英語の発音が流暢で感心した。かけ算九九を教えるにあたっては、直接法ではなく、英語を補助言語として使うことにした。それは、次の理由からだ。

その1  

 低学年の子どもにとっては「何」を学ぶかより、「誰」に学ぶかが大きな学習動機になる。まずは、話すことから信頼関係を築くことが始まる。久しぶりにこちらも英語を復習して臨んだ。「日本語ができない」と自分に自信をもてないでいる子に、「二つめの言葉を勉強しているなんて、すごい。」と信じさせる。誰だって自分を受け入れてくれる人には心を開くだろう。ほめ言葉もたくさん用意した。一番うけたのは「マーベラス」。サンドウィッチマン、ありがとう。

その2

 言葉は、文字と音と意味だけでは存在しない。それまでの生活経験や学習経験、心にある風景など、その子の体験や記憶と結びつくと、言葉に彩りが生まれ、その子の言葉となって生きてくる。無機質な言葉はその子からすぐ逃げていってしまう。

その3

「時間」を料理する。これは、とてもやりがいのある課題だ。その課題は大きく三つあると考えた。

 一つめは「総量」としての時間。全部で何時間何分、教える時間が確保できるのか。学習内容と関わってくる壁だ。その時間が分かったら、学ぶ側も教える側も共有するといい。「あと何日」「あと何分」「あと何問」と数えていくと、期待感や達成感が生まれてくるから不思議だ。ただ、焦りは禁物。

 二つめは「間隔」としての時間。今日は30分間教えられる。では、次は何日後で何分間できるのか。明日か、あさってか、来週か。これは、学習効率、特に「定着」に影響することだ。やはり、「毎日、短時間」がいい。漢字学習と同じだ。あいさつがわりに「はっぱ。」と声をかけると喜び、うれしそうに「ろくじゅうし。」と返してくれた。これだって大切な学習活動だ。

 三つめは、学習者の体力や心理面への時間的な配慮である。学校の通常の授業が終わってからの学習である。短時間が勝負だ。どんな工夫をしたら「残業時間」が楽しくなるか。答えは、努力を認めること。努力する場に立ち会い、努力を評価することを心がけた。疲れた時には甘い物。ほめられたらうれしい。「間違いがいくつ」でなく、「あと何問で満点だ」である。

 

 教え方をあれこれ考えていたら、ぱっと光が差してきた。大げさだが「曙光(しょこう)」である。それは、「かけざん九九は、日本人のリズム」ということだ。

 そうだ、自分は日本語教師。忘れてた。

(そのうち、続く)


 




     

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