さよなら、5月 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 5月 31, 2021 5月が終わった。自分が生まれた月で、一番好きな月だ。新緑が競うように、大地から水を吸い上げる。歌さえ聞こえてきそうだ。花はその花らしく、1回だけの自分の生命を輝かせる。木も花も素直だ。だから、人はそれらを美しいと思うのだろう。人だって、笑い、泣き、悩み、光を求め、1回だけの生命を輝かせようとする。それも、美しいと思う。6月が来た。6月も好きになってみようと思った。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
森の休日 冬 1月 12, 2025 暖かい朝だ。二、三日前に少し積もった雪は、陽の当たるところは消えた。 畑にビニールハウスを建てたので、この冬は小松菜や菜花の緑を眺めることができる。これらは鶏に与えるための野菜だ。もちろん、膳にも上る。無農薬栽培だからか、柔らかく「灰汁(あく)」が少ない。「蘞味(えぐみ)」とも言う。「蘞(れん)」はヤブガラシ、別名・貧乏葛(ビンボウカズラ)のことを指す言葉だ。歴(れっき)とした生薬なのに、灰汁が強いので食べたり、根を煎じて飲んだりするまでには灰汁抜きが必要なことから、野菜を代表して「蘞い(えごい、えぐい)」という不名誉な使われ方をされてしまったようだ。 何年かぶりにソーセージを作った。今回は豚腸を使うフランクフルトだ。細めのウインナーを作るときには羊腸を使う。ソーセージを作る際は、種を冷たくしないとおいしくできないので、寒い今の時季が最適。でも、寒い台所で冷たい肉を捏ねていたら、指が攣(つ)ってしまった。「痙攣(けいれん)」の「攣」という字を見ただけでも指が攣りそうだ。塩の割合を肉の量の2.5%にしたら、少ししょっぱかった。次は2%で作ってみよう。 白菜の漬け物も漬け足した。乳酸発酵食品の白菜漬けは冬の食卓に欠かせない。葉の先の方を細かく刻み、納豆に混ぜて食べるのが子どもの頃から大好きだった。漬け物と納豆、塩鯖や塩鰯、角鰯(かどいわし。にしんのこと)が子どもの頃の冬のおかずの定番だった。わが家の漬け物部屋にはきっとおいしい菌が棲んでくれているのだろう。毎回おいしく漬かる。この冬は20玉くらい漬けただろうか。猛暑のせいで、収穫量が少なかったり、うまく結球しなかったり、農家は大変だったようだ。 塩鮭の切り身を風で干して、その後で酒粕に漬けた。これは、天国の忍ちゃんに教わった食べ方で、今だに毎年作っているのだが、忍ちゃんの味には敵わない。 ベランダにある植木鉢の中にひまわりの種を蒔いてやった。すると、コガラやヤマガラがやって来て啄(ついば)んでいく。すごい食欲だ。どちらもけっこうフレンドリーで、餌を補充してやるのを少し離れた木に止まって見つめている。ひまわりの種の産地は「ヨーロッパ、その他の地域」と袋に書かれてあった。ウクライナのひまわりは美しく咲いていたのだろうか。 薪作りや薪運びで体も動かしている。去年の春から秋までは暑くてキリギリスみたいにさぼっていた... 続きを読む
一段落 9月 08, 2023 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏之) 立秋を過ぎても暑さが居座った。いや、居直ったの方が合うか。日本の気候が温帯から亜熱帯性になってしまい、季節は四季ではなく、まるで雨季と乾季になってしまったようだ。暑さは平気だが、湿度が高いのが苦手で、乾いた風を求めてさまよった夏だった。それでもとうとう朝晩の気温が20℃を切るようになってきた。暑さも「一段落」、そして「人心地」が付いた。 「今日は9月9日。1桁の奇数である「陽数」の中で1番大きい9が2個重なるおめでたい日。」この1文の中には、9や一、2が登場する。日本語学習者が読むのは難しいだろう。9だけでも三つの読み方がある。「1桁」と書いて「ひとけた」と読む方が自然だ。「2個」を「2つ」と書くと「ふたつ」だ。 ここ数年、数詞の書き方や言い方について迷うことが多くなった。 個数や人数などの「量」は助数詞(個や人。算数で言う単位)を伴えば目に見えるように示すことはできるが、「数」そのものは立秋のように目にはさやかに見えない。具象でなく抽象だからだ。目に見える3個や3人という量や3番目のような順序を使いこなしていくうちに、目には見えなくても、感覚として3の意味をつかんでいく。 書き方では、「いち」と読む語や個数、順序は「1」を使い、「ひとつ」と読む場合や熟語は「一」またはひらがなで書いていた。「ここはひとつ、丸く収まった。」 「あの子の胃袋はもう一人前だから、寿司を1人前は食べられるだろう。」という具合だ。日本語の文は縦書きも横書きもできる便利さがある反面、時代や生活の変化によって、表記の曖昧さが増えてきた。扱う数も大きくなった。文字数の少ない「令和五年」「令和5年」はどちらも見かけるが、さすがに「二千二十三年」という書き方はあまり見かけない。 言い方で迷う代表格は「一段落」だ。読み方を知らないからではなく、語感と感情が合わないのだ。大変な仕事が山場を越えたときに「ああ、やっといちだんらくついた。」より、「ああ、やっとひとだんらくついた。」の方がしっくりくる。「ひと」の音が「人」につながり、人の営みの感じがする。「1番好きなのはあなた」だと2番目、3番目の影がちらつく。「一番好き」だと、唯一無二のようで舞い上がってしまう。 暮らしの中では気兼ねなく自分の好きなように数を言えば... 続きを読む
風の正体 8月 25, 2024 二十四節気だと、今年の立秋、秋の始まりは8月7日だった。二十四節気は「皆の衆、皆の衆(三波春夫調)、これから次の季節が始まるぞ、準備万端怠りなく。」と、季節の変わり目の鐘を鳴らす役目だ。その鐘の音が響き終わった頃、8月23日からは処暑に替わる。「暑さが収まるぞ。秋が来たぞ。いつまでもキリギリスをしていてはだめだぞ。」の教え。 二十四節気ができたのは今から2000年前以上前の中国で、日本に伝わったのは1500年前くらいだ。地球に寄り添った暮らしがあった。もちろん何年かに一度の、いつもとは違う気象、例えば「日照りの時や寒さの夏」は人々を泣かせたり、途方に暮れておろおろ歩かせたりし、たくさんの命を奪った。それでも「種蒔き桜」のように、多くの年はいつもと変わらない季節が訪れたはずだ。 二十四節気は天文学で絶対的だが、雑節(ざっせつ)は、日本で作られた、いわゆる農事暦が主となっている。だから、二十四節気よりは、日本の風土や農耕が主だった人々の暮らしに根ざしているので馴染みやすい。旧暦の「八朔」はまもなく。そのあとに「二百十日」や「二百二十日」がやってくる。旧暦は新暦のおよそひと月あとだから、これら三つは台風が作物(主に稲)を襲う「三大厄日」だ。今日もニュースで台風に警戒するようにと訴えていた。 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏之) 目に見えない風がこの和歌の肝だ。この時代から正体のはっきりしない「風」のついた言葉が日本語を豊かにしているようだ。抽象的にも具体的にも、「かぜ」という和語より「ふう」と読む漢語が。 「風情」と「風流」の違いを考えてみた。 夏の盛りに日陰に風鈴を吊るし、風を音として味わう。「釣り忍」も軒に吊るしてあったら、目にも涼しい。西日が隠れた縁側で冷や酒(冷酒ではない。燗していない常温の酒)だな。風鈴も釣り忍も風情があり、風流だ。風情と風流は同じ意味かと思ったら、これはあくまで自分の感覚だが、違いがあるように感じた。暑い夏なら風鈴も釣り忍も「風情」であり、「風流」だ。でも、立秋を過ぎると、「風流」からは外れる。流行遅れだ。ところが、蟋蟀の鳴く音に交じって風鈴の音が聴こえてきたら、それはそれで「風情」がある。涼でなく冷を告げる音として響く。 「風景」「風光」「風雅」「風月」 「風采」「風天(フーテンの寅... 続きを読む
コメント
コメントを投稿