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ベーコンあり□

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 今日も真冬日だろう。  まだ暗いうちに体がそう判断したので、天気予報を確かめるより早く、赤ワインを1杯喉に流した。しばらくすると胃が温まってきた。そのままマイナス5℃の外に出て、まず、ベーコンに煙をかける準備をした。  燻製器が温まるまでの間、薪を運ぶ。薪を高く積んだ一輪車(ねこ)のタイヤは雪に埋まる。力を入れて押す。何回か繰り返すと、さっきのワインは役目を終えたので、今度は、麦芽飲料だ。  冬の休日の朝。雑音は聞こえず、耳に入る音はすべて心地よい。深呼吸した。  今日は雪道を走ってこの森を訪ねて来てくれる人がいるので、そのお礼にベーコンをと考え、1週間前から塩漬けし、昨夜に続いて煙をかける。秋から今までかれこれ20kgのベーコンを作った。  ベーコンを作り始めて約20年。いろいろな教科書を読んで作り方を調べたけれど、本ごとに作り方が違う。それぞれにこだわりがあるのだろう。そう気付いてからは唯我独尊。でも、自分の心の琴線に触れたのは、ローラ・インガルス・ワイルダーのお父さんの作り方だ。趣味ではなく、雪に閉ざされた冬に備えて家族の命を継ぐためにベーコンを作っていたお父さん。  ベーコンを作るのに欠かせないのは第一に塩。塩はピンク色の岩塩を使っている。豚は陸上の生き物だし、岩塩には発色作用のある成分がいっぱい含まれている。山の恵みには岩塩、海の恵みには海塩。何の根拠もないのだが、素材も嬉しいだろうと使い分けている。  塩で保存ができると分かった人間は、次にもっとおいしく食べる方法を欲深く求めてしまう。そこで香辛料の出番だ。たぶんローラのお父さんの時代は生姜か大蒜(にんにく)くらいか。これも教科書ごとに違うから、自分の好みの味を求めて蟻地獄に陥る。燻煙をかけ、その後熟成させて食べるた時に、自分の選んだ香辛料が正解だったか、間違いだったか分かる。間違いなんて豚の命に申し訳ないので、香辛料を選ぶ時は斎戒沐浴、気を引き締める。  そしてチップ。どの木の香りを選ぶかは最後の難関だ。作り始めた頃は「どれでも一緒だろう」なんて高をくくっていたけれど、いやはや。よくソーセージやハムのコマーシャルでは山桜のチップが有名だけれど、他の香りを凌駕する自己主張が嫌で使わない。「ヒッコリーが一番だ。」というローラのお父さんの受け売りで、自分はヒッコリーを使う。ベーコンを焼くと脂がフライパンに溜...

朋有自遠方來 

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  休日に床屋で散髪してもらっていたら、床屋を訪ねてきた人がいた。床屋に手作りの漬物をお裾分けに来たようだ。私の知人でもあり、私がいるのに気付くや否や「ちょっと待ってて。」と家に走って戻り、沢庵と野沢菜漬けを持ってきてくれた。その野沢菜漬けは甘い味付けで優しかった。信州あたりの味とは違う。山形からここの森に入植した方だから、本来なら「山形青菜(せいさい)」を漬け菜にした「おみ漬け」を作りたかったのだろう。でも昨年の夏から秋は猛暑で、山形青菜は不作だったと農家の朋に聞いていたのを思い出した。野沢菜と山形青菜は朋だから、代用したと言っては長野の方に失礼だけれど。沢庵もここらの色や味とは違って楽しめた。  その次の週末は、今度は植木屋の先輩から電話があり、「薪になりそうな木を欲しいか。」と聞いてきた。薪割りも夏の猛暑でさぼってしまったから、この冬は大丈夫かなとキリギリス君の心理になっていたので、三文字で即答。早速、2瓲(t トン)のユニック車4台分の薪(たきぎ)が届いて魂消た(たまげた)。手際よく降ろされた薪の山の高さは自分の背丈以上になって驚いた。それ以上に驚かされたのはその樹種の多様性だ。葉っぱが残って付いていたので、それを手がかりに分かっただけでも「ちゃぼひば」「いとひば」「槐(えんじゅ)」「楓(ふう)」「一位(いちい」その他諸々。この冬はもう大丈夫だ。「最強寒波の襲来」に間に合った。ありがとう、植木屋の朋。  と、安心したのも束の間(握りこぶしの横幅1つ分 約8cm)、次の日の朝、最強寒波に備えていたバックホーのクローラー(キャタピラーは商品名)の、動力が伝わる駆動輪(もう一つはガイドのような「誘導輪」。車のFFとかFRと同じ)からオイル漏れをしているのを発見してしまった。早速、牛飼いの朋に電話して助言を請う。そうしたら、朝早くからやっていたはずの搾乳終了後、駆けつけてくれた。朝飯は食べたかなと心配になる。バックホーの下に潜り、垂れてくる作動油に濡れ、時折焚き火で手を暖めながら黙々と直してくれた。その姿を眺めながら自分の無力さを感じ、朋に迷惑をかけないように修行しないと、と自分を戒めた。その朋と一緒に「ゆら」のコーヒーを飲んだ。朋の「うまい。」の言葉に救われた。「ゆら」のマスターも朋だと自分で勝手に思っている。  朋の誰とも酒を飲めなかった。「不亦樂」に至...

冬の音

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  NHKの「音の風景」が好きだ。音の向こうに人の暮らしや物語、生き物の命を感じる。   自分の好きな冬の音を探してみた。 その1 鍋焼きうどん  鍋焼きうどんは、乳母との思い出の味だ。乳母と言っても、いいところの坊々(ぼんぼん)ではない。「凡々」がふさわしい。昔は育児休業制度がなく、子どもが生まれると時間の余裕のある人が預かって、みんなで助け合って子どもを育ててくれたものだ。  自分を預かってくれたのは信心深く、優しい「かあちゃん」で、自分の生まれ故郷にある神社や寺へ参詣に行く日には、必ず連れて行ってくれた。冬の時期、お昼は決まって馴染みの食堂に寄って、鍋焼きうどんだ。たぶん、幼なじみが切り盛りする店だったのだろう。いつも同じ店だった。鍋焼きうどんを注文すると、運ばれてきた鍋は熱く、目の前でぶくぶく煮えたぎる汁の音。それを冷ますために「ふうふう」と息を吹きかけ、恐る恐る啜る音。熱さがやがて落ち着いた頃に空腹に命令されてうどんを頬張る音。うまかった。蒲鉾の縁の赤を鮮やかに覚えている。冬が来ると、無性に鍋焼きうどんを食べたくなる。「無性に」とは、自分の居場所、「安息」を求めているのだ。鍋焼きうどんで自分の命を確かめようとしている。 その2 西風  育った町の西側には山脈があり、冬になると冷たい西風が吹き下ろした。遊び場は町の東に広がる田んぼや開拓地の牧草畑。自分の家は町の中心部にあったので、家に帰る時は、西風に向かって歩いていくことになる。でも、あの頃は寒いとは感じなかった。それどころか、動き回って火照った体に冷たい西風は心地よかった。風は冬枯れの薄(すすき)をなぎ倒す勢いで、倒れた薄の上を通過する速い風の音は厳しく、寂しかった。季節は冬至を過ぎた頃だろう。夕方5時を過ぎても毎日少しずつ日が延びて、それは明るい未来(もっと遅くまで遊べる季節)が見えるようで嬉しかった。ただ、調子に乗って風に吹かれると、扁桃腺を腫らして熱を出していた。「坊々」だったのかなあ。「青っ鼻」を垂らす友だちがいっぱいいた時代だ。今、暮らしている森の西にも高く、冷たい山がある。冬が来ると西風に吹かれたくて森を歩く。大器晩成、さすがに学習したので、風邪を引くまでには至らない。そこら辺は「凡々」になってしまった。 その3 石炭ストーブ  教室には石炭ストーブがあった。朝は「小使いさん」が用意してくれた...

何を食べたいとも、何を欲しいとも思わずに

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  おだかな空模様の年明けだ。風が吹き荒れることもなく、雪が降り続くこともない。陽春とまではいかないが、目に優しい光だ。  わが家の雑煮は、焼いた塩鮭と大根と芹の根を煮て、しょっつるで味を整える。仕上げに芹の茎と葉を散らし、イクラと柚子を彩りにする。もう何回目になるだろう、今年の元日の朝もこの雑煮とおせちを食べながら新玉の年の幸せを願った。  雑煮の汁を啜りながら、去年の元日は除雪で始まり、一冬繰り返していたことを思い出した。 「新しき年の初めはいや年に雪踏み平(なら)し常かくにもが」(大伴家持) 「降る雪を腰になづみて参り来(こ)し験(しるし)もあるか年の初めに」(同) のような大雪(4尺くらい)が降ると、それに屈しない姿が勇ましくてかっこいいのだが、ちょっと困る。いや、かなり困る。マイバックホーの登場になるのだが、前に降った雪が暖かくなって水になり、凍て返りで今度は氷になり、またその上に雪が積もると、バックホーでさえスリップし、やりたくもない橇(そり)遊びになってしまう。本当におだやかな空模様の正月でのんびりできた。  正月に思うことはもう何年も同じこと。ある言葉を知ってからだ。それは、アイヌの昔話である「ウウェペケレ」によく出てくる「ネプ アエルスイ ネプ アコンルスイ カ ソモキノ」”何を食べたいとも、何を欲しいとも思わずに”(千葉大学 中川裕先生訳)という言葉。決して食欲や物欲を否定するのではなく、今持っているものに満足して過ごすことの幸せを諭す話に出てくる言葉だ。  これがなかなか。永遠のテーマだ。「そんなふうに生きていきたいとも思わずに、自然に」というのもいいな。  この冬は薪も十分にある。立木が割れるくらい寒い夜が来ても大丈夫だ。