雨水の頃と春待つ鶏
今日は「雨水」。その通り朝から雨が降っている。優しい雨だ。雨だれの音も心地よい。「雨水」は今日のこの日を指すし、また3月4日頃までの期間を指す。どちらにしても、冬も終わりだ。
昨日今日と休みだったので、サボっていた薪割りや鶏小屋掃除、畑の整地、その後のビールを予定していたが、雨ではしょうがない。北向きの窓辺にある机でブログを書いている。南の窓の日差しと違って、北の「窓明かり」は 一日中落ち着いていて、物の色もはっきりと区別できる。
挨拶の言葉になるくらい、暖冬だ。雪も降らない。わが家の除雪出動はまだ1回だけ。実はもう1回あったのだが、仕事の都合で夕方にやろうと考えていたら、お向かいさんが見かねてやってくれた。本当にありがたい。
地面の上の枯れ葉を掃いたら、小さな蕗の薹を見つけた。芹は鶏に食べられて1本も生えていないけれど、根が生きているならもう少ししたら復活するだろう。熊も冬眠していないようで、猟友会の人たちが何度か緊急出動していた。
大寒の日に産まれる鶏の卵は「大寒卵」と言って滋養豊富で貴重なのだと聞き、楽しみにしていた。冬と夏は産卵量が減るのだが、今年は大寒でもいつもの冬より暖かいので、たくさん産んでくれたおかげで、お世話になっている人に配ることができた。
ところが今頃になって卵の数が少なくなってきた。理由は「放し飼い」のせいだ。朝、小屋の入り口を開けると、一目散に庭や森に走り出す。そうして日がな一日自由を謳歌している。その時が来ると小屋に戻り、産卵箱(散乱箱にもなっている)で卵を産むはずなのだが、相手は生き物だ。自分の好きな場所を選びたいのだろう。物置の隅やちょっとした隙間を見つけてはそこで産卵している。産卵の時に「鬨(とき)の声」のように甲高い声で鳴くことが多いので、だいたいの目星はつく。声がする物陰を覗いてみると、卵を発見できることがある。でも三日ぐらい「産んでは取られる」を続けると、鶏は場所を変えてしまうので、また捜索が始まる。
餌はホームセンターで売っている配合飼料でなく、農協から大麦・大麦ふすま・大豆粕・米ぬか・とうもろこし・魚粉個・牡蠣殻を買い、それに燻製に使った桜のチップの炭・米、そしてハコベや白菜、キャベツ、ブロッコリーの捨てる部分、うちの食事の残滓を混ぜたものだ。畑や腐葉土の下のミミズも啄んでいる。大麦の量を増やし、とうもろこしを減らしたら、黄身の色がきれいなレモンイエローになって、その道の本にはそれが鶏の卵本来の色と書いてあった。鶏が喜んでくれているようでうれしくなった。
もう少しで、地面に草が生えてくる。鶏のご馳走だ。あと少しで春だ。でも、動物と暮らす冬も楽しいものだ。
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