夏の飲み物
今日はいつもの夏が戻ったように涼しい。エアコンはいらない。南の国に住んでいたのに、雪ニハマケナイガ夏ノ暑サニハマケル。
暑いと冷たい飲み物を摂り過ぎてしまいお腹をこわすので、自制している。どんなものを飲んでいるか、振り返ってみた。
筆頭は、この地域の水。軟水でカルキ臭もなく、一番好きだ。冷蔵庫で冷やさなくても蛇口から出る水はいい感じで冷たい。貯水槽に山椒魚がたくさん入り込み、水の出がわるくなって点検に出動したときがあった。公営の水道でなく、地域で管理しているので、以前は持ち回りで班長になると管理の一端を担っていたのだ。年1回の水源地清掃ではトラックの荷台にすし詰めになって乗り、沢を渡り、まだ若かったみんなで草刈りをしたものだ。休憩時には沢の水で喉を潤し、きれいな山紫陽花を見つけると、若い芽を1本手折り(たおり)大切に持ち帰って挿し木をして森に植えた。今でもこの森でひっそりと咲いている。挿し木のやり方もその時にみんなが教えてくれた。今は高齢化が進み、人も減り地域は「寂しく」なった。それらの仕事は若い世代ががんばってやってくれているが、「淋しさ」もある。(「寂しい」と「淋しい」の使い分け)
この夏によく飲んでいるのがコーン茶。知り合いのもつ鍋屋で買ってきた。韓国では健康茶としてよく飲まれているらしいが、韓国に行ったときは飲む機会がなかった。温かいコーン茶はほのかに甘い。煎ってあるので冷やすと麦茶のような味だ。ただ、どのお茶もそうだが、飲み過ぎはだめらしい。実ではなくとうもろこしの「ひげ(めしべ)」を干したあとに煎って作る「ひげ茶」というのもある。猫の額よりせまい畑でとうもろこしを育てているが、ようやくひげが伸びてきたので、収穫したら作ってみよう。
龍井(ロンジン)茶は中国杭州市の特産だ。5月に旅して摘んできた。製法は蒸さずにすぐ焙煎する。それまで緑茶を嗜む習慣はなかったが、一口含んだら茶の葉のすっきりした香りが体中に染み渡り、飲み干すと、自分はこの土地とつなっがていたことを感じた。大げさだが、大地や太陽、雨、風で自分と繋がっているのだと感じた。懐かしさ、とも言える。ずいぶん前のブログに書いたが、トルコで「8月6日のチャイ」を飲んだときも同じようにトルコと自分の繋がりを感じた。考えてみるとそれは当たり前のことだ。水も茶も地球の産物だ。それを飲むことは、地球の一部を体に取り入れることだから、地球に生きている自分の生命と繋がっている。
阿波番茶を徳島の友人から頂いた。日本では珍しい発酵茶だ。摘み取り時期が遅いのと製法が異なるので、「番茶」と区別するために「晩茶」とも表すようだ。よい意味で「鄙びた」味わいだ。暑い日に蝉の声を聴きながら飲むのによく合う。冷めたおにぎりにも合いそうだ。熱いお湯を注いで待ち、少し温(ぬる)くなった頃合いが好きだ。
香りと言ったら、加賀棒ほうじ茶も忘れられない。浅煎りなので、お茶の芳しさと、焙じた香ばしさが溶け合って一体となっているように感じた。これも頂き物で、みんないろいろなお茶を知っているものだと感心させられる。みんな、自分に合う地球を飲んでいる。
お茶の呼び方については、沢木耕太郎「深夜特急6」(新潮文庫)P161~162に、茶の名前はアジアではChaとCから始まり、ヨーロッパではTeaなどとTになり、そしてヨーロッパの果てのポルトガルでCHÁ(シャ)とまたCに帰ると書いてある。久しぶりに読み返したら、お茶を飲みに「ちょっとそこまで」と、いろんな国を旅してみるのも面白いなと思った。バックパッカーになって。
真打ちはもちろん「ゆら」のコーヒー。変わらず大好きだ。あとエビスビールね。
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