鳥取
間もなく着陸態勢に入ると、機内アナウンスが伝えた。同時に満席の機内の前の方から、赤ん坊の泣き声がぼんやりと聞こえてきた。飛行機の降下で気圧が上がり、鼓膜が痛くなる。赤ん坊は何が起きているのか分からず、痛みを訴えているのだろう。その泣き声も赤ん坊をあやす親の声もぼんやりとしか聞こえないのは、自分の耳も痛いからだ。
痛みを紛らわすために真っ暗な窓の外に目をやると、翼の下の方に白い灯りが点々と見えた。目を凝らすと、白い灯りに円く照らされた部分だけ白い皺が見える。海面だ。白い灯りは白イカ漁の漁り火だと気付いた。鳥取空港は海に面しているし、今は鳥取名物白イカ漁の漁期だ。「機体」は下がり、逆に「期待」は高まってきた。
飛行機はますます高度を下げ、今度は家々の上を掠めるように滑っていく。そして、車輪が地に着いた音と衝撃があり、飛行機は急ブレーキをかけた。体が前のめりになるのを踏ん張っていると、やがて体が楽になり、そして止まった。とうとう鳥取に着いた。
鳥取砂丘コナン空港の到着ロビーには、懐かしい表情のKちゃんが出迎えてくれていた。短い言葉で挨拶し、抱き合って2年ぶりの再会を喜び合った。
翌日は、Kちゃんイチオシの「投入堂」に「挑戦」だ。正式名称は「三徳山三佛寺奥院」、天台宗の古刹で国宝、しかも日本遺産第1号という有り難いお寺だ。なのに何で「挑戦」かと言うと、別名「日本一危険な国宝」らしい。道のりは約660mでなんてことはない。ところが、出発地点からの標高差は220mだ。久しぶりに三角関数で計算してみると、傾斜角度は約19°28′。平らな部分を含めてだ。崖の箇所は鎖がある。崖の窪みに両手の指先と両足のつま先をかけ、額を岩肌に触れさせながら尺取り虫みたいに這いつくばって登っていく。まるで縦型「五体投地」だ。唱えるのは「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」。自分は無宗教だが、役行者(えんのぎょうじゃ)になったようで気分はよかった。
この日のためになぜか禁酒してきた。体を伸ばせるだけ伸ばし、屈めるだけ屈み、霊気を吸えるだけ吸い、邪気を吐けるだけ吐き、尺取り虫と化して進んで行く。Kちゃんに「本当に鳥取に来たかったのか試してんの?」と減らず口を叩いていたが、やがて無口になった。投入堂まであとどれくらいなんて考えるのは六根清浄ではない気がして、無心になったのか思考停止になったのか。ふらふらと大きな岩を越して右に曲がったら、本当に突然、目的地の投入堂が現れた。断崖絶壁の窪みにお堂がある。おお、神々しい。いや、寺だから、こういう場合は何と言うんだ、なんて考えてたら、お堂の最高の撮影ポイントに「重要文化財 火気厳禁 HITACHI」という立て札があった。「火気厳禁 火断ち」やるなあ、日立。座布団1枚だ。
しかし、着いた喜びは一瞬で、頭の中には「下山」の二文字が浮かび、まだまだ修行が足りない自分を発見してしまった。懺悔、懺悔、六根清浄。
投入堂は「自己責任」の精神にあふれていて感心した。手袋が必要だと思うのだが手袋無しの人がいたし、落ちたらよくて大けが、最悪命を落とすような場所だ。自分よりも年配の方もいたし、小さな子もいた。力が余っているのか、2往復に挑戦している若者もいた。まだ午前中だったから3往復したかもしれない。いいな、好きにやるがいい。
下山後は三朝温泉で汗を流した。温泉の目の前は三朝川の清流。風呂上がりには自己責任で禁酒を解き、ビールを飲んだ。大手ビールだけど、鳥取で飲むビールはうまいなあ。自己責任は自分に甘いなあ。
その夜は、Kちゃんちに夕食に招いてもらった。お目当ては、Kちゃんの奥さんのじゃりン子チエちゃん手作りの「お好み焼き」だ。とてもうまかった。んー、お好み焼きは鳥取に限るのお。Kちゃんが「鷹勇 なかだれ」を注いでくれた。辛口で、鯖の塩辛によく合った。
酔い覚めすっきり。次の日は智頭町にある山林王の邸宅や、板井原という集落に連れて行ってもらった。板井原では、猫の額ほどの畑に、冬が来る前には収穫を迎えられるであろう大根の葉が青々と光り、その隣には枝豆の時季を過ぎた大豆が葉を枯らし始めていた。畑ではお婆さんが農作業をしていた。挨拶してやり過ごし、集落の果てで折り返しまた戻ってみると、今度はお爺さんもいた。二人はまるで映画のエキストラみたいで、静かすぎる廃村の風景の一つになっていたので、声を掛けるのをためらった。彼らには日常の時間が、自分たちには非日常の時間が、渡ってはいけない川のように流れているのだ。「廃村」と思ったが、茅葺きの屋根をトタン屋根に葺き替えていた家があったので「廃村」なんて勘違いして失礼だった。「営み」はまだ残っている。あれはお爺さんとお婆さんの家だろうか。あと何年暮らせるのだろう。命尽きて星になるまで、自分が暮らしている家や土地を愛せることは幸せだ。山林王の豪邸と比べることもない。そう思ったら、憧れの気持ちが湧いてきた。自分の呼吸ができるならどこでもいい。自分の生き方こそ、自己責任だ。「きっと勘違いだったって 別にそれで良いんだろう ずっとそのまま信じていられれば」(織田哲郎「青空」)、「人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ。」(スナフキン)
地元のスーパーを覗くのが好きなことをKちゃんは覚えていてくれて、案内してくれた。おいしい白バラ牛乳を買い、Kちゃんからどっしりとした味わいの地酒を差し入れしてもらった。Kちゃんは次の日に仕事があるので、ここでお別れだ。照れくさいので淡々と別れた。その方がまた会える気がした。
最終日、お昼にじゃりン子チエちゃんが卵かけご飯のおいしいレストランに連れて行ってくれて、とても参考になった。そこで作って販売しているベーコンは発色剤などの添加物を使っていなくて、鳥取は素朴で良心的だった。
3泊4日の旅程中、Kちゃんと奥さんのじゃりン子チエちゃんは、心づくしのもてなしをしてくれた。一緒に過ごしたすべての時間がうれしかった。
いろいろな旅の形や目的があるけれど、自分は人とふれあう旅が好きだ。それが友なら最高だ。会った瞬間、懐かしい過去が蘇えり、それが今に繋がっているのを喜ぶ。そして、また未来に続いていくことを願う。鳥取にいる間ずっと、なぜか森進一の「襟裳岬」が頭の中で聴こえていた。「寒い友だちが訪ねてきたよ 遠慮はいらないから暖まってゆきなよ」作詞は岡本おさみ、鳥取生まれだ。
羽田に着くとその日は十三夜。空港の空にまぶしく月が光っていた。片見月と順序は逆になるけれど、いつか十五夜を鳥取で眺めたいと思いながら帰路に着いた。翌朝、森の秋は確実に深まっていた。
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