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森の休日 冬

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 暖かい朝だ。二、三日前に少し積もった雪は、陽の当たるところは消えた。  畑にビニールハウスを建てたので、この冬は小松菜や菜花の緑を眺めることができる。これらは鶏に与えるための野菜だ。もちろん、膳にも上る。無農薬栽培だからか、柔らかく「灰汁(あく)」が少ない。「蘞味(えぐみ)」とも言う。「蘞(れん)」はヤブガラシ、別名・貧乏葛(ビンボウカズラ)のことを指す言葉だ。歴(れっき)とした生薬なのに、灰汁が強いので食べたり、根を煎じて飲んだりするまでには灰汁抜きが必要なことから、野菜を代表して「蘞い(えごい、えぐい)」という不名誉な使われ方をされてしまったようだ。  何年かぶりにソーセージを作った。今回は豚腸を使うフランクフルトだ。細めのウインナーを作るときには羊腸を使う。ソーセージを作る際は、種を冷たくしないとおいしくできないので、寒い今の時季が最適。でも、寒い台所で冷たい肉を捏ねていたら、指が攣(つ)ってしまった。「痙攣(けいれん)」の「攣」という字を見ただけでも指が攣りそうだ。塩の割合を肉の量の2.5%にしたら、少ししょっぱかった。次は2%で作ってみよう。  白菜の漬け物も漬け足した。乳酸発酵食品の白菜漬けは冬の食卓に欠かせない。葉の先の方を細かく刻み、納豆に混ぜて食べるのが子どもの頃から大好きだった。漬け物と納豆、塩鯖や塩鰯、角鰯(かどいわし。にしんのこと)が子どもの頃の冬のおかずの定番だった。わが家の漬け物部屋にはきっとおいしい菌が棲んでくれているのだろう。毎回おいしく漬かる。この冬は20玉くらい漬けただろうか。猛暑のせいで、収穫量が少なかったり、うまく結球しなかったり、農家は大変だったようだ。  塩鮭の切り身を風で干して、その後で酒粕に漬けた。これは、天国の忍ちゃんに教わった食べ方で、今だに毎年作っているのだが、忍ちゃんの味には敵わない。  ベランダにある植木鉢の中にひまわりの種を蒔いてやった。すると、コガラやヤマガラがやって来て啄(ついば)んでいく。すごい食欲だ。どちらもけっこうフレンドリーで、餌を補充してやるのを少し離れた木に止まって見つめている。ひまわりの種の産地は「ヨーロッパ、その他の地域」と袋に書かれてあった。ウクライナのひまわりは美しく咲いていたのだろうか。  薪作りや薪運びで体も動かしている。去年の春から秋までは暑くてキリギリスみたいにさぼっていた...

枯葉よ~♩落ち葉よ~♩

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  11月の最後の日の朝、初雪が降った。風がなく、空からまっすぐ下りてきた。雪もまだ初々しく遠慮がちで、雨に変わっては、また雪に戻ったりしている。冬が進むごとに、主役に成長し、もっと力強く降るようになるだろう。季節が秋に戻ることはないだろう。アイヌ語で「雪が降る」は「ウパシ アシ」。「アシ」は「走る」や「雪や雨が降る」の意味で、天から一片ひとひらの雪がコタン(住んでるところ。村)目がけてかけっこして遊びに来るという意味のようだ。  森の木々はすっかり冬木立となり、色彩は一気に茶色になった。森を歩くと、「落ち葉」がやわらかい。吹きだまりになっているところで転びそうになった。落ち葉を踏む音はくすぐったい感じがする。いや、待てよ。踏んでいるのは「落ち葉」というべきか「枯葉」と言うべきか。どっちでもいいのだけれど、ちゃんと使い分けられたら、もっと季節を楽しめる気がする。  童謡「たきび」(作詞:巽聖歌 作曲:渡辺茂)では、「落ち葉焚き」という言葉が歌われている。子どもの頃は、冬が来るとよく焚き火を見かけた。見かけると、友だちと一緒に吸い寄せられるように赤い焚き火に近寄っては煙の匂いを嗅いだり、自分の方に煙がやってくると逃げ回ったり、焚き火の中に隠してあるだろう焼き芋のおこぼれを期待したりしながら道草を楽しんだ。今は大っぴらに焚き火ができなくなり、冬の晴れた空に焚き火の煙が昇っていく風景を見かけることはなくなってしまった。  O・Henry(オー・ヘンリー)の「最後の一葉」は蔦の葉だ。落ちていないので、あれは落ち葉ではなく落ちそうな「枯葉」だな。葉の先の方から枯れていく「末枯れ(うらがれ)」だ。「病葉(わくらば)」とは違う。「病葉」は夏の季語で、夏の盛りに青々と茂る葉の中で寂しく色が枯れてしまった葉だ。 「枯れる」のもつ意味はなかなか奥深いように感じる。万物の全盛期を過ぎたことを表す意味もあるし、芸や技、趣、人格などに外連味(けれんみ)がなくなり、完成されたことを表すときにも使われる。「あの役者の芸は枯淡の境地を感じさせる。」とは褒め言葉で、間違っても「落ちる」では表現できない。  枯れるの語源は「離る(かる)」で「涸れる」や「嗄れる」とも意味は近い。「枯れ木」となると、もう命を終えた木や、新しい季節のために葉を落とした木の二つの意味があるから、文脈で判断しなければならない。...

観測史上、最も

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  久しぶりに思いのままに過ごせる休日。朝食後、ビニールハウスの中に野菜の種を蒔いた。冬場、鶏たちが走り回る森には青物がなくなるので、わずかでも好物の青菜を与えたいと考えてビニールハウスを建てた。ビールハウス内の温度は今の時季だと25℃くらい。野菜の発芽温度を調べて、くきたち菜、小松菜、菜花を選んだ。肥料はもちろん自家鶏糞にしたかったけれど、鶏たちはあちらこちらで用を足すので、どこで糞をしたのか後を追いかけるのも主としては情けない。おまけに愛犬がその鶏糞の味をなぜか気に入り、食べていたのが判明。食物繊維かなんかのサプリのつもりなのかな。しょうがなくホームセンターで乾燥鶏糞を購入しビニールハウス内の土に施した。今後は、計画的に鶏糞を集める工夫をしよう。鶏のためだけでなく、自分のためにも高菜を選んで蒔いた。収穫した高菜をひと冬塩漬けし、低温発酵させる。それを夏の強い日差しで乾燥させ、また塩を塗(まぶ)し、冷蔵庫で低温発酵させて完成。粥の具にも、炒め物の塩味にも最高だ。台湾で食べて以来、虜になった。たぶん、臭豆腐の付け合わせだったと覚えている。舌が。  種蒔きが終わって外に出ると、気温は12℃、黒ビールがおいしい季節だと閃いてしまった。家に戻ると室温は20℃くらい。たぶん、ビールの温度と今の室温は最高のマリアッジ?のはずだ。それを観測しなければ。そんな責任感から選んだのはギネス。別にこだわらないのだが、この前テレビでアイルランドの旅番組を見て擦り込まれたみたいだ。  ギネスの栓を開ける。塩味&セサミのプレッツェルも一緒に買ってある。ここらへんは抜かりない。どれどれ、色も楽しみたいのでグラスに注ぐ。当たり前だけれど黒い。泡とビールのバランスを測り、よし。  あああ、おっ。今年の観測史上最もうまい。当たり前田のクラッカー、この秋初めての黒ビールだ。   自分だけが選んだ今年の流行語大賞は「観測史上、最も」だ。「観測史上、最も暑い8月」「観測史上、最も早い桜の開花」「観測史上、最も遅い夏日」「観測史上、最も遅い初冠雪」「観測史上、最も多い降水量」などなど。これらの全部が地球の気候の異常さを突きつけていると言って間違いない。「観測史上、最も」で表されたよい意味のニュースはなかっただろうし、11月中旬になった今でも台風が発生している。  1996年から2004年まで...

ベーコン始めました

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 毎日が秋になった。   夜、外気温が10℃を切るようになると忙しくなる。ベーコン作りの季節の始まりだ。  27年前に始めた、唯一の趣味だ。でもなかなか特技までには至らない。飽きっぽい性格なのに、よく続くものだと我ながら驚いている。  ベーコン作りは、材料も方法もとても素朴で、地方でもどこでも手に入る。  何より、肉。新鮮な豚バラの塊を肉屋から手に入れる。新鮮な肉は脂肪がきれいな白色をしている。1回に約4kgの塊を仕込んでいく。豚バラの塊は厚さがだいたい5~10cm、横30~40cm、縦は60cmくらいだ。これを10切れぐらいに分ける。脂の多い部分や赤身の多い部分があるが、「三枚肉」と呼ばれるように脂と赤身が程よい具合に層になっている部分が美味しい。切り落とした筋や膜、余分な脂は青菜と一緒に煮込んで愛犬のご馳走にする。  塩は精製塩でなく、岩塩や海塩をその時の気分で使い分ける。肉に直接擦り込むので粒は細かい方が使いやすい。彫刻刀の細い平刀が8枚並んでいるような作りの「ミートソフター」という筋切り用の器具を肉に刺して穴を開けて、肉の内部にも塩や香辛料が入り込むようにする。通販で1000円もしなかったが、もう何年も何千回も刺し続けている。  砂糖は塩の1/4くらいの量を、コクを出したい気分のときは黒砂糖や赤砂糖、寒くなってくると優しい味のきび砂糖を使っている。まあ、自分を信じることだ。  チップは森の山桜の枝を手折り、使った。ああ、いい香りだ。それもそのはず、チップは焼(く)べる前に、ウイスキーに浸してみた。浸すのに使った分と飲んだ分のどちらが多いかは証拠がないから分からないなあ(と、煙(けむ)に巻く)。  香辛料の組み合わせは、凝りすぎると天文学的というか迷宮入りというか、悩みすぎて楽しめなくなるので、いたって少なくし、毎回変えては楽しんでいる。必ず使うのは、黒こしょうか白こしょう。黒こしょうは香りが強い。脂に付いたままにして仕上げ、焼いて食べるとワイルド(野趣あふれる)な味である。白こしょうを使うと香りは優しい。脂が白いままに仕上がるのできれいだ。  この秋から使い始めた香味野菜は、玉葱と生姜と大蒜(にんにく)。「手作りベーコン」や「自家製ベーコン」を謳って売られているベーコンでも、原材料表示を見ると保存料、発色剤や結着剤、合成着色料、アミノ酸などを使ってい...

鳥取

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  間もなく着陸態勢に入ると、機内アナウンスが伝えた。同時に満席の機内の前の方から、赤ん坊の泣き声がぼんやりと聞こえてきた。飛行機の降下で気圧が上がり、鼓膜が痛くなる。赤ん坊は何が起きているのか分からず、痛みを訴えているのだろう。その泣き声も赤ん坊をあやす親の声もぼんやりとしか聞こえないのは、自分の耳も痛いからだ。  痛みを紛らわすために真っ暗な窓の外に目をやると、翼の下の方に白い灯りが点々と見えた。目を凝らすと、白い灯りに円く照らされた部分だけ白い皺が見える。海面だ。白い灯りは白イカ漁の漁り火だと気付いた。鳥取空港は海に面しているし、今は鳥取名物白イカ漁の漁期だ。「機体」は下がり、逆に「期待」は高まってきた。  飛行機はますます高度を下げ、今度は家々の上を掠めるように滑っていく。そして、車輪が地に着いた音と衝撃があり、飛行機は急ブレーキをかけた。体が前のめりになるのを踏ん張っていると、やがて体が楽になり、そして止まった。とうとう鳥取に着いた。  鳥取砂丘コナン空港の到着ロビーには、懐かしい表情のKちゃんが出迎えてくれていた。短い言葉で挨拶し、抱き合って2年ぶりの再会を喜び合った。  翌日は、Kちゃんイチオシの「投入堂」に「挑戦」だ。正式名称は「三徳山三佛寺奥院」、天台宗の古刹で国宝、しかも日本遺産第1号という有り難いお寺だ。なのに何で「挑戦」かと言うと、別名「日本一危険な国宝」らしい。道のりは約660mでなんてことはない。ところが、出発地点からの標高差は220mだ。久しぶりに三角関数で計算してみると、傾斜角度は約19°28′。平らな部分を含めてだ。崖の箇所は鎖がある。崖の窪みに両手の指先と両足のつま先をかけ、額を岩肌に触れさせながら尺取り虫みたいに這いつくばって登っていく。まるで縦型「五体投地」だ。唱えるのは「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」。自分は無宗教だが、役行者(えんのぎょうじゃ)になったようで気分はよかった。  この日のためになぜか禁酒してきた。体を伸ばせるだけ伸ばし、屈めるだけ屈み、霊気を吸えるだけ吸い、邪気を吐けるだけ吐き、尺取り虫と化して進んで行く。Kちゃんに「本当に鳥取に来たかったのか試してんの?」と減らず口を叩いていたが、やがて無口になった。投入堂まであとどれくらいなんて考えるのは六根清浄ではない気がして、無心になったのか思考停止になっ...

風の正体

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 二十四節気だと、今年の立秋、秋の始まりは8月7日だった。二十四節気は「皆の衆、皆の衆(三波春夫調)、これから次の季節が始まるぞ、準備万端怠りなく。」と、季節の変わり目の鐘を鳴らす役目だ。その鐘の音が響き終わった頃、8月23日からは処暑に替わる。「暑さが収まるぞ。秋が来たぞ。いつまでもキリギリスをしていてはだめだぞ。」の教え。  二十四節気ができたのは今から2000年前以上前の中国で、日本に伝わったのは1500年前くらいだ。地球に寄り添った暮らしがあった。もちろん何年かに一度の、いつもとは違う気象、例えば「日照りの時や寒さの夏」は人々を泣かせたり、途方に暮れておろおろ歩かせたりし、たくさんの命を奪った。それでも「種蒔き桜」のように、多くの年はいつもと変わらない季節が訪れたはずだ。  二十四節気は天文学で絶対的だが、雑節(ざっせつ)は、日本で作られた、いわゆる農事暦が主となっている。だから、二十四節気よりは、日本の風土や農耕が主だった人々の暮らしに根ざしているので馴染みやすい。旧暦の「八朔」はまもなく。そのあとに「二百十日」や「二百二十日」がやってくる。旧暦は新暦のおよそひと月あとだから、これら三つは台風が作物(主に稲)を襲う「三大厄日」だ。今日もニュースで台風に警戒するようにと訴えていた。  「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏之)  目に見えない風がこの和歌の肝だ。この時代から正体のはっきりしない「風」のついた言葉が日本語を豊かにしているようだ。抽象的にも具体的にも、「かぜ」という和語より「ふう」と読む漢語が。 「風情」と「風流」の違いを考えてみた。   夏の盛りに日陰に風鈴を吊るし、風を音として味わう。「釣り忍」も軒に吊るしてあったら、目にも涼しい。西日が隠れた縁側で冷や酒(冷酒ではない。燗していない常温の酒)だな。風鈴も釣り忍も風情があり、風流だ。風情と風流は同じ意味かと思ったら、これはあくまで自分の感覚だが、違いがあるように感じた。暑い夏なら風鈴も釣り忍も「風情」であり、「風流」だ。でも、立秋を過ぎると、「風流」からは外れる。流行遅れだ。ところが、蟋蟀の鳴く音に交じって風鈴の音が聴こえてきたら、それはそれで「風情」がある。涼でなく冷を告げる音として響く。 「風景」「風光」「風雅」「風月」 「風采」「風天(フーテンの寅...

夏の飲み物

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  今日はいつもの夏が戻ったように涼しい。エアコンはいらない。南の国に住んでいたのに、雪ニハマケナイガ夏ノ暑サニハマケル。  暑いと冷たい飲み物を摂り過ぎてしまいお腹をこわすので、自制している。どんなものを飲んでいるか、振り返ってみた。  筆頭は、この地域の水。軟水でカルキ臭もなく、一番好きだ。冷蔵庫で冷やさなくても蛇口から出る水はいい感じで冷たい。貯水槽に山椒魚がたくさん入り込み、水の出がわるくなって点検に出動したときがあった。公営の水道でなく、地域で管理しているので、以前は持ち回りで班長になると管理の一端を担っていたのだ。年1回の水源地清掃ではトラックの荷台にすし詰めになって乗り、沢を渡り、まだ若かったみんなで草刈りをしたものだ。休憩時には沢の水で喉を潤し、きれいな山紫陽花を見つけると、若い芽を1本手折り(たおり)大切に持ち帰って挿し木をして森に植えた。今でもこの森でひっそりと咲いている。挿し木のやり方もその時にみんなが教えてくれた。今は高齢化が進み、人も減り地域は「寂しく」なった。それらの仕事は若い世代ががんばってやってくれているが、「淋しさ」もある。(「寂しい」と「淋しい」の使い分け)  この夏によく飲んでいるのがコーン茶。知り合いのもつ鍋屋で買ってきた。韓国では健康茶としてよく飲まれているらしいが、韓国に行ったときは飲む機会がなかった。温かいコーン茶はほのかに甘い。煎ってあるので冷やすと麦茶のような味だ。ただ、どのお茶もそうだが、飲み過ぎはだめらしい。実ではなくとうもろこしの「ひげ(めしべ)」を干したあとに煎って作る「ひげ茶」というのもある。猫の額よりせまい畑でとうもろこしを育てているが、ようやくひげが伸びてきたので、収穫したら作ってみよう。  龍井(ロンジン)茶は中国杭州市の特産だ。5月に旅して摘んできた。製法は蒸さずにすぐ焙煎する。それまで緑茶を嗜む習慣はなかったが、一口含んだら茶の葉のすっきりした香りが体中に染み渡り、飲み干すと、自分はこの土地とつなっがていたことを感じた。大げさだが、大地や太陽、雨、風で自分と繋がっているのだと感じた。懐かしさ、とも言える。ずいぶん前のブログに書いたが、トルコで「8月6日のチャイ」を飲んだときも同じようにトルコと自分の繋がりを感じた。考えてみるとそれは当たり前のことだ。水も茶も地球の産物だ。それを飲むことは、...